写真家・石田昌隆インタビュー!強制収容所、ジプシーの熊使い、ニナ・ハーゲン… ベルリンの壁崩壊から30年間世界を巡った音楽の旅の記録

 国内外の名だたるミュージシャンを撮り続けてきた写真家・石田昌隆。多くのアルバムジャケットを手がけ、僕らの見慣れたビジュアルは、彼がファインダー越しに切り取ったものといえる。そればかりか、石田は自ら海外に赴き、新しい音楽が生まれる現場に立ち会い、世界数十カ国を旅してきた。

石田昌隆『1989 If You Love Somebody Set Them Free
ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた』 (オークラ出版)

 絶賛発売中の写真集『1989 If You Love Somebody Set Them Free ベルリンの壁が崩壊してジプシーの歌が聴こえてきた』(オークラ出版)は、米ソ冷戦終結、東西統一のきっかけとなった「ベルリンの壁崩壊」から30年に及ぶ、激変する世界と音楽の旅の記録である。東西ベルリン、チェコスロバキア、ハンガリー、ウクライナ、モスクワ、ルーマニア、マケドニア、コソボ、ブルガリア、イスタンブール、アテネなどを巡り、映画『ベルリン天使の詩』のロケ地から、壁崩壊以降のテクノ、ジプシー音楽の世界的なブームなどを追い、各地で出会ったミュージシャンや映画監督のポートレイトを撮影し、石田が見てきた音楽シーンの変遷を臨場感をもって追体験することができる。

 カウンターカルチャーを追う男、ケロッピー前田が、石田昌隆に迫った。

写真家・石田昌隆 撮影:ケロッピー前田

――89年のベルリンの壁崩壊は、米ソ冷戦時代を知っている世代にとって、歴史的な大事件でした。石田さんは、壁崩壊前のベルリンに行って、さらに崩壊後、再びその現場を訪れていますね。

石田昌隆氏(以下、石田)「ベルリンの壁崩壊といわれる出来事があったのは、89年の11月9日。象徴的なイメージとして、ブランデンブルグ門の壁の上に人々が上って、壁を壊すパフォーマンスをしている映像がよく使われるけど、実際には、物理的に壁を壊すことが重要だったわけじゃないんです。実は、その日の夕方、東ドイツ政府のスポークスマンだったシャボフスキーが記者会見で間違って、東ドイツの人々が自由に西ドイツに行けるようになると言ってしまったんですよ」

崩壊前のベルリンの壁、1989年1月7日撮影

――冷戦時代は、米ソが核戦争をしたら人類は滅亡しちゃうんじゃないかって、世界中の人々が恐れていました。さらに東西間には鉄のカーテンと呼ばれた情報の遮断があって、いきなり東西の往来が自由になるなんて、信じられないですよね。

石田「シャボフスキーの発言が実況中継されたら、東ドイツの人々が国境に殺到しちゃって、それがあまりにも大勢だったから、国境警備隊も持ちこたえられなくなって、ゲートを開けてしまったんだよね。それはちょっとした手違いだったけど、壁崩壊といわれる出来事の本当の顛末はそういう感じだったんです」

ベルリン崩壊前、アンハルターの廃駅

――それ以前からも民主化の動きはありましたよね。

石田「確かに、東ドイツの民主化の機運は、89年8月くらいから急速に高まってはいました。それが、汎ヨーロッパ・ピクニックという事件でした。東西間には鉄のカーテンがあったけど、東欧諸国のなかは、自由に旅行ができました。ハンガリーはオーストリアと国境を接していて、5月くらいに国境の鉄条網が取り払われたので、ハンガリー経由で西側に逃げられるようになっていたんです。ハンガリーで最も西側に近い、ショプロンという街に、ピクニックと称して、東側の人たちが集まって、千人単位で国境を越えちゃった亡命事件がありました」

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