その年の12月、彼らの故郷ルーマニアのクレジャニ村を訪ねました。その後も彼らの活動を追い続けましたが、ゼロ年代半ばに長老のメンバーの何人かが亡くなると、彼らは世襲制なので子供たちが新メンバーになりました。しばらく世代交代の時期があって、7年ぶりの来日を果たしたのは2012年になってからでした」
――ジプシー・パンクのバンドが気になります。
石田「ゴーゴル・ボーデロですね。ウクライナ出身のユージンがボーカルを務めるバンドで、彼は、88年にウクライナでソニック・ユースのライブを観て、ミュージシャンになることを決心したといいます。壁崩壊後、ユージンはニューヨークに渡り、香港、エクアドル、エチオピア、タイなど、無国籍なメンバーを集めて、ジプシー・パンクというべき斬新な音楽を始めました。
2004年の『キル・ユア・アイドルズ』というドキュメンタリーは、70年代末にニューヨークで盛り上がったNO WAVE と呼ばれる無秩序でロックンロールを否定したパンクのムーブメントを紹介していますが、その現代における継承者として大きく紹介されたのが、ゴーゴル・ボーデロでした。NO WAVE のオリジネーターであるリディア・ランチやアート・リンゼイは、00年代になって出てきたNO WAVE のフォロワーたちを全然評価していないけど、ゴーゴル・ボーデロのことは評価していました。マドンナも彼らを高く評価して共演もしています」
――日本に来たことはあるんですか?
石田「07年のフジロック。08年のサマーソニックで来日しています。そのときのライブもすごくて、翌09年12月、彼らを追って、ウクライナに行きました。彼らの故郷であるジプシーの村も訪ねる予定でしたが、その前に泊まったホテルで泥棒にカメラをすべて盗まれちゃったんで、行かずに帰ってきたのですが」
――生命に危険がなくて良かったですよね。
石田「ベリルンから始まる世界の旅を一冊にまとめたかったので、2019年9月、ベルリンをもう一度訪ねて、最初の旅で知り合った人たちと30年ぶりに再会を果たしています」