SNSで排除された写真を展示する『私たちは消された展』の主催者であり、「扇情カメラマン」として活躍する酒井よし彦氏。現在、ギャラリーCORSO(東京・神保町)にて21日まで開催中の「死生有命×月緒展」と題した“生前葬個展”も話題だ。
実は、酒井氏のカメラマンデビューは40歳。それ以前はホスト、ヤミ金融業者など、アウトローな世界で生きてきたという。波乱万丈という言葉では到底収まりきらない、痛快な人生を存分に語ってもらった。
★過去のインタビュー記事はコチラ★
「死やエロを遠ざける理由はない」主催者の“扇情カメラマン”酒井よし彦が咆える!
★酒井よし彦氏が主催するイベント『令和三年度 消された忘年会』12/5 開催! チケットは以下★
http://pundit.jp/events/5608/
■バンドで学校を退学、詐欺まがいの訪問販売を経験
――今やカメラマンとして年間1000人以上の女体を撮影する売れっ子の酒井さんですが、興味深い人生を送ってきたそうですね。本日は、酒井さんの人生を振り返っていただきたいです。まずは、子供の頃から絵が好きで、画家を目指し、芸術大学に行きたかったと聞きました。
酒井よし彦氏(以下、酒井) そうですね。小さいころは、芸術とまではいかなくても、絵は好きでした。中学時代からはバンド活動に力を入れていて、高校には一応入りました。でも、バンドやってたら高校なんて意味ないじゃないですか(笑)。髪の毛を伸ばして「バンドするので、学校辞めます」と親に言ったら「家を出て行け」と言われたんです。その日は親に謝って、次の日、寮付きの仕事の面接を受け、家を出ました。そこからはバンド活動に邁進です。
――その寮付きの会社はどんなところだったんですか?
酒井 汲み取りトイレの換気扇の訪問販売でした。付ける必要がないものを付けたりもします。売れるわけがないです。
当時は15歳の少年で、給料は、最初は手伝いで1日1000円でした。年も年なので十分です。
だんだんコツを覚えていきました。いわゆる「市役所の方からきたんですけど」みたいなヤツで、サギ訪問販売ですね。年金ぐらしのおばあちゃんとかは、本当にだまされちゃうんですね。
ある日、会社の先輩が帰りの車で、僕にアンパンをくれたんですよ。まだ僕はピュアだったんで「汚い金で買ったアンパンを食いたくないです」と断りました。すると先輩は「かわいそうなのは、おばあちゃんじゃなく、メシも食えないお前だよ」と言われたんです。「自分で金を稼げない人間はかわいそうなんだ」と思い知らされて、お金に対する考え方が変わりました。「お金を稼げばいいんだ」とね。
――その考えが、ヤミ金につながっていくんですね。
酒井 はい。その前にもう一段階あります。当時、バンド活動は続いていました。でも僕は頭がおかしいのか、今から思うとひどい暴君でした。メンバーが1分でもリハーサルに遅刻したら怒鳴る、練習をしてこないと大激怒、ステージの衣装もメンバーに自腹で買えと強要しました。
そんな言い方をすれば、ダメになるのは今ならわかります。もちろんバンドはうまくいかなくなり、心が折れちゃいました。バンド・音楽を失ったら、ただの子どもです。同級生は大学進学や就職をしています。フリーターは恥ずかしいと思って、さきほどの「お金を稼げばいい」という考えがでてきました。
それで、21歳のとき、ホストになったんです。