お宝が積まれているかもしれない未発見の難破船8隻! 1900億円の金銀、3300億円相当のダイヤモンド…
金銀財宝を積んだまま沈没した船には当然ながら注目が集まるが、今日でもまだ行方が知れずトレジャーハンターたちの垂涎の的である沈没船が8隻残されているという。
1.サンタ・マリア号
コロンブスの旗艦
クリストファー・コロンブスが1492年8月3日にアメリカ大陸へ向けた最初の航海に3隻の船で出航した時の旗艦がサンタ・マリア号である。
船団は大西洋を無事に横断しバハマ諸島に到達したが、1492年のクリスマスイブにサンタ・マリア号がイスパニョーラ島でサンゴ礁に乗り上げて座礁した。
幸いなことに地元の原住民の助けを借りて、乗組員は船内の食糧と物資を運び出すことができたのだが、船体は翌日沈没し、土砂に埋もれたと考えられている。
そして今日に到るまで、沈んだ船体の正確な位置は謎のままである。座礁から沈没までの間、食糧と物資の搬出が優先されたため船内には金貨などのお宝が残っている可能性は高い。サンタ・マリア号は、今もなおトレジャーハンターたちの“メインターゲット”の1つであり続けている。
2.HMSエンデバー
クックの船の悲しい運命
HMSエンデバー号はイギリスの有名な探検家、ジェームズ・クックが最初の探検航海に使用した船である。
1768年から1771年にかけて、クックはHMSエンデバー号で太平洋に乗り出し、世界初のニュージーランドを周航を成し遂げ、オーストラリアの東海岸に到達した最初のヨーロッパの船であった。
クックの最初の航海と帰国から数年後、エンデバー号は売却されたのだが、アメリカ独立戦争の際にはイギリス海軍に接収され、ニューイングランドに軍隊を運ぶために使用された。
しかし1778年にロードアイランド州のニューポート港に係留されている間、エンデバーと他の12隻の船が、フランス艦隊の進入に対して封鎖を行うための盾として犠牲になり沈没したといわれているが、沈没した船体はまだ発見されていない。
アメリカとオーストラリアの合同調査チームが鋭意、ロードアイランド島を調査しており、有力な証拠をいくつか発見したことが主張されているが、専門家はさらなる調査や分析、研究が必要だと指摘している。
3.ボノム・リシャール
火災で沈んだ老朽艦
アメリカ独立戦争下の1779年にルイ16世が大陸海軍のジョン・ポール・ジョーンズに対して供与した老朽化したフリゲート艦がボノム・リシャールである。
すぐに実戦に投入され16隻のイギリス艦艇を拿捕するなど華々しい初陣を飾り、1979年9月23日の北海での海戦でも勝利して敵艦のHMSセラピスを拿捕したものの、ボノム・リシャールの船体もダメージを受けており、それが原因の火災で沈没した。
今日、ボノム・リシャールは、世界で最も捜索されている行方不明の船の1つであり、イギリスの地元住民や専門のサルベージ会社から米海軍まで、多くが探索に乗り出したが今のところまでまだ決定的な物証は得られていない。
4.フロール・デ・ラ・マール
沈んだ財宝
大航海時代のポルトガルの大型帆船、フローラ・デ・ラ・マールは、沈没時にダイヤモンドと金をはじめとする財宝が山と積まれていた。
1511年11月20日、マラッカ海峡の近くで激しい嵐に見舞われフローラ・デ・ラ・マールは沈没したのだった。乗組員の多くは溺死し、わずかな数が生き残った。
専門家は沈没時の同船はおよそ26億ドル(約3300億円)相当の財宝を運んでいたと試算している。これまでにさまざまなサルベージ会社や探検家がこの失われた財宝を探してきたが、今のところ彼らはまったく報われてはいない。
5.マーチャント・ローヤル号
コンウォール沿岸で失われた財宝
1641年にイギリスのコンウォール沿岸で沈没したポルトガルの帆船、マーチャント・ローヤル号は金と銀を運ぶ貿易船で、今日の価値で約15億ドル(約1900億円)相当の金を積載していたと考えられている。
船に積まれた大量の金銀財宝から「海のエルドラド」と呼ばれ、トレジャーハンターと海洋考古学者たちが何度もコーンウォール沖で船を探してきた。
2007年、サルベージ会社「オデッセイ・マリーン・エクスプロレーション」のチームは、同海域で難破船を発見し、船内にあった硬貨を回収して期待されたが、調査の結果それは残念ながらスペインのフリゲート艦であることが示された。2019年にはマーチャント・ローヤル号の錨が発見されたのだが、依然として船体の位置は謎のままである。
6.ル・グリフォン
五大湖で沈没
1679年にフランスで建造された帆船、ル・グリフォンはアメリカの五大湖を巡航した最初の帆船であった。
処女航海を終えたばかりのル・グリフォンは1679年9月、グリーン・ベイからミシガン湖のマキナック島へ向けて出航したが、船が目的地にあらわれることはなく、6人の乗組員も行方不明となった。
何が起きたのか。2つの有力な仮説があり、1つは船が大嵐に見舞われて沈没したというもので、もう1つは乗組員が反乱を起こし、貨物(毛皮)を盗み、船を自沈させてから逃亡を図ったという説だ。
長年にわたってさまざまなチームが沈没したル・グリフォンを捜索し、2014年に2人のトレジャーハンターが船を発見したと主張したものの、調査の結果彼らの発見は19世紀か20世紀の蒸気船であることが判明し、依然としてその行方はわかっていない。
7.USSインディアナポリス
日本軍に撃沈される
米海軍のポートランド級重巡洋艦、USSインディアナポリスは第二次世界大戦中の1945年7月30日にフィリピン海で日本海軍の潜水艦の雷撃により沈没した。
1195人の乗組員のうち約900人が艦の外に脱出したが、残念なことに、彼らはサメが出没する海域で立ち往生し、海軍の飛行機が彼らを見つけるのに数日かかった。その間に多くがサメの餌食になったり、体力の消耗や脱水症状で死亡し、生きて救助されたのは317名であった。
第二次世界大戦中で最悪の米海軍の災害として記録されており、沈没した船体はまだ発見されていない。
8.USSサイクロプス
バミューダトライアングルの犠牲に?
米海軍の大型艦艇、USSサイクロプスは、アメリカが第一次世界大戦に参戦するとすぐに就役し、1910年5月に進水した。
1918年2月に大西洋のバルバドスを出航した後、3月に消息を絶ち、306人の乗組員と共に姿を消した。いわくつきの海域「バミューダトライアングル」を航行中に姿を消したとの指摘もあり、超常現象も疑う声も出てくることになった。
現実的な仮説としては、この時の同艦は1万1000トンのマンガンが積まれていて明らかな積載オーバーの状態にあり、しかも運が悪いことその時に航行していた海域で嵐が発生していたことによって沈没したという説である。
ドイツのUボートに撃沈されたという説や、酒好きの艦長が酔って舵を取り操縦を誤って沈没したという説もあるが、沈んだ船体はいまだに見つかっていない。
これら8隻の沈没船は謎に包まれているが、決してミステリーではない。今後の探索技術の進歩によってすべての船が見つかる可能性もあるのだ。そう遠くない将来に続々と朗報が届けられることを期待したいものだ。
参考:「Ancient Origins」ほか
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