プーチン大統領が「貧しい家庭出身」は大嘘! 実際は“絶対に当たる宝くじ”を持つ超特権階級の御曹司… デタラメだらけの公式設定とは? 天才・亜留間次郎が解説
【薬理凶室の怪人で医師免許持ちの超天才・亜留間次郎の世界征服のための科学】
スターリンは権力を握ると暗殺を恐れて疑心暗鬼になっていた話は有名ですが、そんなスターリンが毒殺を恐れて拒食症にならなかったのは絶対的な信頼を置いていた料理人がいたからです。
元は高級ホテルの料理長でラスプーチン、レーニン、スターリンを初めソビエトの大物達に料理を作っていた凄腕の料理人でした。
彼の名前はスピリドン・イワノビッチ・プーチンプーチン大統領の父方の祖父です。
スピリドン・プーチンはサンクトペテルブルクのホテル・アストリアの料理長をしていました。
ホテル・アストリアはロマノフ王朝300周年を記念して建築が始まり1912年に完成、当時から最高級のホテルで21世紀現在も営業していて、今もサンクトペテルブルクの5つ星ホテルの座に輝いている一流ホテルです。
このホテルが出来た直後から滞在していた有名人がロシアの怪僧グリゴリー・ラスプーチンです。
そのため、スピリドン・プーチンは怪僧ラスプーチンとも面識があったと言われています。
ホテル・アストリアはその後、ロシア革命が始まるとレーニンやスターリンなどが宿泊するようになり革命のための会議が頻繁に行われ、1918年9月「ペトログラード評議会第1議事堂」に改名されました。
ホテルの料理長だったスピリドン・プーチンはこうしてラスプーチン、レーニン、スターリンの3人を初めとする大物のために料理を作るようになりした。
ちょっとややこしいですが「サンクトペテルブルク」は第一次世界大戦で「ペトログラード」に改名され、革命後は「レニングラード」に改名され、ソビエト崩壊後に「サンクトペテルブルク」に戻っています。
この町とホテルはそれぐらいレーニンや共産主義革命と縁のある場所でした。
クレムリンに政府中枢機能が設置されるとスピリドン・プーチンも政府要人のための料理人としてホテル・アストリアからクレムリンへ転職しました。
彼はスターリンの死後も料理人を続け、共産党幹部の教育施設の料理人をしていました。つまり、ソビエト共産党発足時から戦後の幹部まで大半の権力者と面識があり、しっかり胃袋を掴んでいたことになります。
1965年3月8日に85歳で静かに亡くなりました。
プーチン大統領は1952年10月7日生まれですから小学生ぐらいまでは生きていたことになります。
スピリドン・プーチンは貧しい村の農民出身とされていますが、それでは料理人としてのキャリアに説明が付きません。
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