死んでも「タバコ浣腸」で生き返ることが可能? 38回以上の蘇り「ラザロ症候群」の裏歴史
■生き返った死刑囚
1650年12月14日にイギリスのオックスフォード城でアン・グリーンという女性が絞首刑にされました。処刑が終わると彼女の死体はオックスフォード大学に解剖されるために引き渡されました。当時としてはありふれた死刑囚の死体を医学研究の為に使う為です。
大学で彼女の入った棺桶を開けた医師はまだ脈があり、生きているのを発見しました。4人の医師による必死の蘇生処置により彼女は生き返りました。そして、生き返ったのは神の御手による奇跡として無罪になりました。その後、彼女は田舎で結婚して3人の子供が生まれ1659年に亡くなりました。なんと処刑から9年間も元気に生きていたのです。
生き返った死刑囚はイギリスで大きな話題になり、多くの作品や論文のも登場しています。 これが前例となって明治5年(1871年)には、日本で処刑されながら生き返った死刑囚・田中藤作も同じように放免されました。
死んでいた人が生き返った事例は世界的に何度も起きていて、イエスキリストの手によって死より甦えった聖人ラザロにちなんで「ラザロ症候群」という名前がついてます。
医学の世界では処刑後に生き返った事例ではなく、心肺停止していた人が蘇生に失敗した後で自動的に蘇生する現象に使われますが、1982年以降に少なくとも38回以上の症例報告があります。
世界で初めて生き返った死刑囚アン・グリーンのおかげで人間は死んだように見えてもまだ生き返る余地があることが広く知られるようになり、仮死と蘇生という概念が医学界に広まりました。
■王立浣腸協会?
それからしばらくしてイギリス・ロンドンの医師だったウィリアム・ホーズは溺れた人の呼吸が止まっていても仮死状態であり、蘇生できるのではないかと考えました。
そこでホーズ先生は1773年にテムズ川で溺れて死んでいる人を連れてきたら金貨を支払うことを始めました。ホーズ先生は運び込まれた人に様々な蘇生法を試みて何人かは助かりました。
ホーズ先生の活動に賛同した医師で哲学者のトーマス・コーガンは15人の同志を集め、1774年に王立人道協会(Royal Humane Society)を設立し、溺れて死んだ人を蘇生させることに成功した人に4ギニー、現代日本なら約2万円に相当する金貨を支払う活動を始めました。
ところで、この当時ロンドンのテムズ川で頻繁に溺死者が浮いていたのには大きな理由がありました。
当時、欧州諸国では自殺は違法であり、キリスト教会も自殺すると地獄に落ちると言っていたのですが、詩人ジョン・ダンと自然哲学者ウォルター・チャールトンによる自殺擁護論からイギリスで自殺が正当化されたせいで当時のイギリスは世界屈指の自殺大国になってしまい、自殺はイギリス病とまで言われ、テムズ川は代表的な飛び込み自殺スポットになっていたのです。自殺の正当化による自殺多発に対して自殺者を救助する組織が現れたのは歴史の必然でした。
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