真珠湾攻撃の11週間後、LAで起きた“幻の空襲”。米軍はなぜ存在しない敵を撃ったのか?

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 日本海軍によるハワイ真珠湾攻撃の11週間後、西海岸のロサンゼルスは大混乱に陥った――。大都市の夜空に無数の砲弾が撃ち込まれた「ロサンゼルスの戦い」とは何だったのか。

■敵不在の「ロサンゼルスの戦い」はなぜ起きたのか?

 1942年2月24日深夜、ロサンゼルスは大混乱に陥り、数十台の高射砲が夜空に向かって続けざまに砲弾を発射したが、歴史家で作家のマーク・フェルトン氏によれば、そこには標的になるものは何もなかったという。

 この事件、通称「ロサンゼルスの戦い」が起きたのは1942年2月。日本軍による真珠湾攻撃をきっかけに太平洋戦争が始まってから、わずか11週間後のことだった。

 2月24日の午前2時7分(太平洋標準時)にレーダー画面に映った小さな点が、ロサンゼルスに向かっている正体不明の航空機であると正式に確認された。すぐさまあらゆる方向から放たれたサーチライトの光が空を照らしたが、日本の爆撃機は見えなかった。

 そして午前3時16分、すべての高射砲が突然発砲し、数百発の砲弾が市街地の上空で花火のように狂喜乱舞したのだ。

 午前3時36分、砲撃は停止したが、サーチライトは再び空を照らし続けた。午前4時5分、高射砲が再び砲撃を開始した。

 ロサンゼルス全域で合計10トンもの砲弾が上空に打ち上げられ、爆発音が市内に響き渡り、事件に関連した心臓発作や交通事故で市民5人が死亡した。

 1440発の砲弾が上空に向けて発射された後、ようやく砲撃が中止された。多くの弾丸は予め設定された高度で爆発したが、一部は市内に落下した。

「空中で爆発しなかった大型の3インチ砲弾のいくつかは、ロサンゼルスの各地に着弾したときに爆発し、砲弾の破片が家屋を突き破り、恐怖に怯える住民には間一髪で外れたものの住宅やガレージが被害を受けました」(フェルトン氏)

 アメリカ軍の当初の報告書によると、最大25機から30機の敵機が西海岸への侵攻を試みたとされているが、実際はロサンゼルスを攻撃した日本軍の航空機はなかった。

 2月26日、海軍長官フランク・ノックスは、この襲撃は「誤報」であったと公式に宣言した。

 フェルトン氏によれば、この事件は“戦時神経症”の例として有名であり、この夜、兵士たちは神経が張り詰めており、不安が収まらず何が起きてもおかしくない状態だったという。

「これはまた、最高司令部から砲兵隊の指揮官に至るまで全員が日本軍の攻撃を予想していたという軍の無能さをあらわす例でもあります」(フェルトン氏)

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 いったん砲撃が始まり、上空で続けざまに砲弾が爆破すると、あたかも上空に何かがあるように見えたり、街に落ちて爆発した砲弾が日本軍機からのものであるように誤認するなどして、砲手は手を緩めることなく砲撃を続けたのだった。

 またこの前日にはカリフォルニア沿岸の石油精製施設が日本海軍の潜水艦によって攻撃を受けていたことも、この事態を招いた一因であったと考えられる。兵士はもちろん民間人も日本軍の攻撃に備えてきわめて神経質になっていたのだ。

 存在しない敵機めがけて夜空に無数の砲弾が撃ち込まれた「ロサンゼルスの戦い」は、真珠湾攻撃のショックが冷めやらぬアメリカがそれだけナーバスになっていたことの現れであったのだろう。

参考:「Daily Mail」ほか

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文=仲田しんじ

場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。
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