ツタンカーメンの“呪いの死者リスト”の衝撃! 射殺、窒息、投身……不可解な連鎖に潜む“ファラオの呪い”は実在するのか?

“ファラオの呪い”なのか――。ツタンカーメンの墓に関わった者が次々と謎の死を遂げているという。
■“ファラオの呪い”死者リスト
古代エジプト第18王朝の王、ツタンカーメンの墓は1923年2月16日に考古学者、ハワード・カーターによって初めて封印が解かれた。
この時に墓の開封に立ち会った者の1人、カーナヴォン卿はその4カ月と7日後の1923年4月5日に、髭を剃った後に蚊に刺されて感染し、その感染症で亡くなった。
カーナヴォン卿の異母兄弟もまた悲惨な最期を遂げた。異母兄弟の国会議員のオーブリー・ハーバート大佐は、視力回復を目的とした歯科治療後に敗血症を起こし、1923年9月26日に悲劇的にこの世を去った。
カーナヴォン卿のもう一人の異母兄弟であるマーヴィン・ハーバート卿は、1929年に「マラリア肺炎」で亡くなった。
アメリカの鉄道王、ジョージ・ジェイ・グールドは、1923年5月、公開直後の王墓を訪れた数週間後、彼は高熱を出し、フランスのリビエラで亡くなっている。
エジプトのアリー・カメル・ファハミー・ベイ王子は、1923年7月10日、ツタンカーメンの王墓を訪れて記念写真を撮影をした直後に滞在先のホテルで妻に射殺された。
さらに不吉なことに、ツタンカーメンのミイラをレントゲン撮影した放射線科医のアーチボルド・ダグラス・リード卿が、1924年に謎の病気で亡くなった。

ハワード・カーターの友人、ブルース・インガム卿に贈られたペーパーウェイトは「ミイラの手」でできたもので「私の体を動かす者に、火と水と疫病がもたらされる」といった呪詛の言葉が刻まれていたという。
この贈り物を受け取った直後、インガム卿の家が全焼し、その再建後には浸水に見舞われたという。
王墓開封時の立会人の1人、スーダン総督リー・スタック卿は、1924年11月19日にカイロを車で走行中に銃撃されて悲劇的な最期を遂げた。
カーターの発掘チームの一員で、イギリスの考古学者A・C・メイスは、1928年にヒ素中毒で亡くなっている。
同じく発掘チームの一員でカーターの個人秘書であったリチャード・ベセル大尉は、1929年11月15日にベッドで窒息死しているのが発見された。
その後に彼の父が墓の財宝が保管されていた7階のアパートから飛び降り自殺を図った。
彼は「もうこれ以上の恐怖に耐えられないし、ここで何をすればいいのかわからないので、ここを去ります」と書かれたメモを残していたのだ。

最終的にハワード・カーターは1939年3月2日に亡くなった。医療の発達していなかった時代の64歳での自然死であったが、今でもその死は悪名高い“ファラオの呪い”によるものだと考える者もいるようだ。はたしてこれら一連の死はエジプト王の呪いのなせる業だったのか。そしてこれからもファラオに関わった者に災厄が訪れるのだろうか。
参考:「Express」ほか
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2024.10.02 20:00心霊ツタンカーメンの“呪いの死者リスト”の衝撃! 射殺、窒息、投身……不可解な連鎖に潜む“ファラオの呪い”は実在するのか?のページです。呪い、墓、古代エジプト、死者、ツタンカーメン、ファラオなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで

