>  > 90年代キューバ“売春天国”の実態をレポート

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 2016年11月25日(日本時間26日)、キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が死去した。90歳だった。カストロは、キューバ革命(1959年)でチェ・ゲバラとともにアメリカ合衆国の後ろ盾を受けていたフルヘンシオ・バティスタ政権を打倒したことにより、世界的に知られる革命家として知られていた。

 キューバがアメリカと国交を回復したのは、2015年のことになる。それを受けて、街の雰囲気はガラリと変わった。現在、首都のハバナは、欧米からの観光客で溢れかえり、“古き良き時代”のキューバの面影は、急速に薄れていっている。

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 そんな“残念”なハバナだが、米国資本が入る前の街には、ゆったりとしたムードがあった。そこにあふれていたのは、社会主義国独特の雰囲気だ。街のあちこちには売春宿もあり、ここにもゆったりとした時間が流れていた。アメリカと国交を回復するはるか前、1990年代の売春宿を知る日本人男性Aに会うことができたので、その写真とともに紹介したい。

「キューバで女の子を捜すのは、とても楽しいことだったよ。立ちんぼをやっている女の子たちは、毎日のようにストリートに出ていた。午前10時頃から『営業』を始める女の子もいたね。ホテルで食事を済ませたら、オビスポ通りに向かうのもいいし、革命博物館前の広場に行くのもいい。問題は、女の子たちがスペイン語しか話せないことだけだったね。でも、Hのサインは万国共通。左手で小さな穴を作って、右手の人差し指で、その穴を通すような仕草をすればいいだけ。値段が決まったら、ホテルに移動するだけさ」(日本人男性A)

コメント

1:匿名2018年1月 7日 22:19 | 返信

??「国の美しさとは性環境の充実ぶりと見つけたり」

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