【ノーベル賞】LED中村氏に捨てられた日本! 優秀な人材に嫌われる日本の研究環境と、奴隷博士「ピペド」
10月7日、スウェーデン王立科学アカデミーはノーベル物理学賞を名古屋大学特別教授・名城大学終身教授の赤﨑勇氏と、名古屋大学教授の天野浩氏、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の中村修二氏の3名に授与することを発表した。
しかし、LEDを最初に実現させた中村氏は99年には日本を離れ、渡米して研究を続けた人物。さらに、10月7日には、ニューヨークタイムズをはじめとするアメリカのメディアが中村教授について「アメリカ人/American and 2 Japanese Physicists Share Nobel for Work on LED Lights」と紹介し、話題になった。
●中村氏と日本企業
中村氏がLEDの原型を生み出したのは1993年初め。当時日亜化学工業株式会社の社員であった中村氏は、新製品を作っても利益が出ず、社内で孤立したという。そんな逆境を乗り越えての中村氏の研究により、日亜化学工業は青色レーザーや3原色を重ねた白色LEDを製品化し、大ヒット。しかし、その後99年12月に中村氏は同社を退社、渡米して研究を続けた。2001年には発明特許を白亜化学が企業財産にしたことに異議を唱え、同社に対して訴訟を起こす。(05年に和解)ちなみに当時、中村さんに与えられた対価は数千円~数十万円程度、報奨金は2万円だったと伝えられている。
渡米して、University of California Santa Barbara校の教授に転身してから「日経ビジネスオンライン」が中村氏を取材したインタビュー記事(2001年)には「ますます日本が自由のない国に見えるようになりました。こっちは仕事を進めるうえで上下関係がまったくない。ともかく能力主義、自由主義なんですよ」「優秀な技術者はみんな米国に来ればいい。そうすれば日本も国を挙げて考え直すようになるのではないでしょうか」とある。
このインタビューでは、仕事ができなくなったら日本に戻る可能性もあると話しているが、それはつまり、現役時代はアメリカに捧げるということである。
中村氏が日本の科学研究体制に異議を唱えてから15年がたつ。最近では、STAP細胞をめぐる騒動で理化学研究所の在り方も問題視されてきたが、科学界に変化はあったのだろうか? サイエンス・ライターの川口友万氏に話を伺った。
●研究予算の削減で、基礎研究ができなくなった
「日本の研究環境は、むしろ悪化しています。2004年3月に国立大学が法人化され、国からの研究予算が削減されました。国庫が厳しいことから、大学も自助努力をするべきという考えに沿ったわけです。
その一方で、90年代に入り、大学院重点化が行われ、国公立私立を問わず、博士課程に進む学生が急増しました。就職氷河期が1993年~2005年。就職難から大学院に進む学生も多く、その結果、博士号を持ちながら就職できない高学歴ニートが急増します。
日本の大学は元々象牙の塔で、大学の研究は必ずしもすぐに成果が出る必要はありませんでした。年に数本の論文を出せば、成果が出ていない研究でも予算は下りました。しかし大学の法人化は、そういう一種の学問のパラダイスを破壊しました。
基礎研究はすぐに製品化できるようなものではなく、採算を度外視しなければ研究は続けられません。たとえば何百光年先の恒星の組成を調べるといった研究は、すぐに何かの役に立つわけではありません。しかしそうした研究は、私たちが何者でどこにいるのかという人間が根源的に持つ問いかけに答えることができます。そういうスタイルの研究ができなくなったんです。
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