佐藤信太郎撮影:墨田区八広2004『非常階段東京』より
2002~08年にかけて、都市のあらゆる非常階段に登り続け、10階ほどの高さから長時間露光で街の姿を撮影してきた佐藤信太郎氏。普段見ることも、注目することもない街全体の姿形や、街に存在するビルや看板、そして光。そこには我々の想像を超えた街の“裏の顔”が潜んでいた――。今回は、写真集『非常階段東京』をメインに、写真集『夜光』『東京|天空樹』(いずれも青幻舎)もあわせて、佐藤氏にとっての写真と街の魅力について話を聞いた。
■自分のイメージを投影した写真からの脱皮
『非常階段東京―TOKYO TWILIGHT ZONE』(青幻舎)
――佐藤さんが写真を始められたきっかけは?
佐藤信太郎(以下、佐藤) 1番最初に写真を意識したのは、朝日ジャーナルで連載されていた中上健次の『奇蹟』という小説の中で使用されていた北島敬三さんの写真を見た時。すごくカッコよかった。余談だけど『奇蹟』は未だに自分が読んだ小説の中でナンバーワン。あとは、高校を出てフラフラしてた頃、藤原新也さんの本に出会ってすごく影響受けたね。ああいう風に写真を撮りながら、世界を旅して、それがおカネになるのは魅力的だと思ったので、当時は真似して撮っていた。
――今は藤原さんの作風とは全然違います。
佐藤 そうですね。“雰囲気を出す写真”を否定している学校に入ったからというのが大きい。たとえば、写真を始めた頃はレンズにハーッと息をしてボワっとした雰囲気のある写真を撮ったり、わざと粒子の荒れた写真や周辺を暗く落とした写真を作っていた。写真の学校に入ってからは、そういった「自分のイメージを被写体に投影することを否定する」ということを教わったので、“自分の内面の表現”をしないように、僕の写真の感じも変化していったんだ。もう少し自分の思いから離れて、客観的に捉えていく形をつくっていった。完全に変化したのは、学年末の制作で、当時住んでいた横浜の街並みを三脚立ててカチッと撮る作業を短期間でものすごく集中して撮った時かな。作業が終わった後に寝ようとして目をつぶると、写真がバーっと頭の中に出てきて眠れないくらいの集中っぷりだったよ。