「ヒトラーを昼夜非難する者が、野蛮さでヒトラーを超えた」発言 常識破りのトルコ大統領ヤバすぎる素顔
■エルドアンの過激発言
1954年2月26日、イスタンブールのベヨール区カスムパシャでエルドアンは生まれた。マルマラ大学経済商業学部在学中に、政治活動を始めている。
1994年にイスタンブール市長となったのが、エルドアンの政治家人生のスタートだ。市長として政治集会で挨拶したエルドアンは、次のような詩を暗唱した。
・4年半の実刑判決受けた発言
「モスク(イスラム礼拝所)はわが兵舎、ドームはわがヘルメット、ミナレット(尖塔)はわが銃剣」
イスラム賛美の詩である。トルコは人口の 99 % 以上がイスラム教徒であるが、憲法には、政治の宗教からの独立を謳う「世俗主義」が明記されている。「世俗主義」という呼び方は誤解を生みやすいが「個々人がどんな宗教を信じるのも自由だが、国家は特定の宗教に縛られない」という意味。日本をはじめ世界の多くの国で取り入れられている考えだ。イスラムの教えに基づいて国法が作られているイランなどが、この対極に位置する。
つまり、市長という公職にありながら公の場でイスラム賛美の詩を暗唱したエルドアンは、刑法第312条2項「国民間の宗教およびレイシズムを煽動した罪」で、4年半の実刑判決を受け服役する。被選挙権も剥奪された。
出所後の2001年、イスラム色の濃い公正発展党を結成し、エルドアンは被選挙権剥奪のまま党首に就任したのだ。
2002年の総選挙の結果、議会第1党となった公正発展党が政権を握る。エルドアンは被選挙権が剥奪されていたため、副党首のアブドゥラー・ギュルが首相となった。
そして、2003年に憲法改正によって被選挙権を取り戻したエルドアンが議員として当選すると、ギュルから首相の座を譲り受ける。首相になったエルドアンは、イスラム色を打ち出すことはほとんどなかった。トルコには、全人口の約2割にあたる約1500万人のクルド人がいる。だが、トルコの建国以来「トルコはひとつである」として、クルド人の存在は否定され、クルド語を話すことは禁止、クルド語の学校を作ろうとすると警察が出動して潰した。だが、エルドアンは「クルド問題」の存在を初めて認め、過去の政府によるクルド人迫害について謝罪した。
こうした姿勢は国際的にも評価され、「ゼロ・プロブレム外交」と呼ばれる全方位外交は好調。経済成長にも恵まれ、国内でも高い支持率を得た。
しかし、欧米の友好国が不安に駆られたのは、2010年5月。イスラム教国であるイランのマフムード・アハマディネジャド大統領(当時)を「よき友人」と呼んで抱擁した時だ。「イランに核保有の権利がある」と、エルドアンは明言している。
さらに、2009年1月のダボス会議では、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への侵攻の正当性を述べたイスラエル大統領シモン・ペレスに、エルドアンは反論しようとした。ところが、司会をしていたアメリカの保守派ジャーナリストに時間切れを理由に遮られると、「人殺しをしているのはイスラエルだ!」と叫んで会場を去った。帰国すると、空港には数千人の国民が出迎えて、エルドアンに喝采を送った。パレスチナをはじめとするアラブ諸国も、エルドアンを英雄と讃えた。
2010年6月には、パレスチナへの支援物資を運ぶ船がイスラエル特殊部隊に襲われ、トルコ人を含む多数の死傷者が出た。エルドアンは、「イスラエルの犯罪は必ず罰せられなければならない」と発言した。2014年のイスラエルのガザ地区への侵攻には、「ヒトラーを昼夜非難する者が、野蛮さでヒトラーを超えた」とまで言い放った。
直接選挙で初めて大統領が選ばれることになった2014年の大統領選挙で勝利し、エルドアンが大統領に就任したのは、8月28日のことである。
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2024.10.02 20:00心霊「ヒトラーを昼夜非難する者が、野蛮さでヒトラーを超えた」発言 常識破りのトルコ大統領ヤバすぎる素顔のページです。トルコ、ヒトラー、イスラエルなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで