■情報化社会に霞む被災地
私が被災地に行ったのは地震から三カ月後。知人の写真家にはその翌日にバイクに機材を積んで福島入りした人もいた。福島駅まで夜行バスに乗りそこから先は南相馬市に住む元東電のAさんの車で移動することになった。東京ではとにかく「放射能が危険だ」という声ばかり聞いていたので、福島についてその温度差を感じざるを得なかった。Aさんの持参したサランラップでまかれたガイガカウンターが4台、車内の中に鳴り響く。この耳障りな音さえなければ震災のことも忘れてしまいそうなのどかな田舎道だった。音だけが知らせる放射能の恐怖、目に見えないというのは実に恐ろしい。