■被災地のボーダー
二日目、相馬港やら相馬市内のほうへ行った。どうにかして福島第一原発に近づこうとしたが昼間だとどうにも目立つ。Aさんいわく、海岸線に間近までいける道があるとのことだったが、闇雲に行ってもしかたないので今回は断念ということで個人的に行きたい場所があったのでそちらに車を回してもらった。ヨッシーランド。36人が犠牲になった介護老人保健施設である。平屋建てということもあって予想以上に大きな建物だった。到着した時にはとうに日が暮れて電気も途絶えた施設内は真っ暗だ。
単身中へ入る、ここで大勢の方が亡くなったのかと思うといやでも背筋が寒くなる。何も見えないので定期的にフラッシュをたき通路を確認する。長い廊下の途中でフラッシュをたくと、床にちょうど人のような白いものが見えた。これは出くわしてしまったかと思ったが、丸まったシーツだった。あらかた遺体は片付けられているとはいえ、逃げ遅れた人たちの痕跡がいたるところに残っている。波に流されまいと壁に残った手形、散乱した靴。私が被災地で多くの方が犠牲になったと真に感じた一番記憶に残っている場所。いや、なんというか、一番実感した場所というべきか。
老人介護施設ということで津波到達予想地点より遥か高台に建てられ津波など来ないはずだった。しかし自然の力は人間の予想を遥かに上回っていたのだ。皮肉なことに、この建物が津波最終到達地点だった。車道から少しおりた所に建物があり、もしそうでなかったら被害は免れたやもしれぬ、と地元の方は言っていた。生と死を分けるボーダー、まさにほんの小さなものなのだ。その方は私に「被災地のボーダー」を撮って欲しいといった。
間違いなく近いうちに施設は取り壊されるだろう。当事者でもなんでもない私だが、もし震災の風化につながるかもしれないと考えるとなんだか複雑な心境である。
ヨッシーランドの一室には入居達が手作りでこしらえたカレンダーが貼ってあった。どうしたわけか3月のカレンダーだけが壁から剥がれ床に落ちていた。
(写真・文 新納翔)
■新納 翔 Niiro Sho
写真家。1982年横浜生まれ。早稲田大学理工学部応用物理学科中退。日本の三大ドヤ街のひとつである「山谷」にて、実際に働きながら7年間写真を撮り続ける。写真集に『Another Side』(Libro Arte)等がある。2015年築地のギャラリー「ふげん社」にて、写真展「築地0景」を開催。写真評論家の飯沢耕太郎氏より高い評価を受ける。今月4月「新宿ベルク」にて個展開催予定。
ホームページ http://nerorism.rojo.jp/
Facebookページhttps://www.facebook.com/NiiroShoPhotography
山谷における作品はこちらより見ることが出来ます。
AnotherSide(2012)
写真集は下記Amzonか私のウェブサイトよりご購入できます。サイトからであればサイン入りで郵送可能です。
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