日本に戻らなかった残留日本兵1万人の実態! 中国、ソ連、タイに残った理由とは?

 もっとも多くの残留日本兵が発生したのは中国である。中国では1927年から蒋介石率いる国民党軍と、毛沢東率いる共産党軍の間で内戦状態となる。だが、1937年に日中戦争が勃発すると、日本へ対向するために国共合作が行われる。戦後には再び内戦状態に戻り国民党側、共産党側に多くの日本人が留用される。中でも医療技術者は重用され、男性医師のほか、女性看護婦も留用されていた(p.197)。

 中国では驚くべき残留計画も存在した。戦時中、山西省に駐留した日本軍の部隊は、敗戦を予期した日本人上層部と、現地の軍閥の有力者であった閻錫山(えんしゃくざん)が結託し、意図的な残留を企てる。山西省は豊富な石炭資源を持っており、戦後の利益をあらかじめ得ようとしたのである。最大計画では1万5千人の残留が予定され、実際に約2600人がとどめおかれた。この事件は2006年に『蟻の兵隊』としてドキュメンタリー映画化されている(p.203-204)。

 知られざる残留日本兵としてはノモンハン事件の例もある。ノモンハン事件は、1939年に満洲国とモンゴルの間に生じた国境紛争である。事件といっても、満洲国・日本軍と、モンゴル・ソ連軍の間で4カ月間にわたって断続的に戦闘が続いた事実上の戦争である。戦後、シベリア抑留で同地に送られた日本人は、ノモンハン事件で捕虜となった日本兵たちを目撃する。彼らは日本人同士で生活をし、抑留者との話には応じるものの、本名や出身地は名乗りたがらなかった。やがてロシア人女性と結婚し、現地の社会へ溶けこんでいった(p.221-233)。さらにシベリア抑留者の中からも、共産主義に共鳴し現地にとどまる残留日本兵が登場した(p.224)。

 日本兵の残留理由の多様性について著者は“「残留」という現象が、単なる引揚げの対概念としてだけでなく、多様な戦い、生存の社会関係の束であったとことである”と位置づける(p.229)。さらにアジア各国の独立戦争に加わった義勇兵たちも、必ずしも国家の英雄とならず、それぞれの国家が「追放」を検討した事実も指摘する(p.230)。残留日本兵は、アジア各国の戦後史において、対日、対外関係の中で常に翻弄される存在であったのだ。

 著者はもともとは20歳のインドネシア留学を契機として、残留日本兵研究を始めている。そこから8年が経った、本書の刊行時(2012年7月)において“国内の戦争体験者が続々と鬼籍に入っているように、残留日本兵の生き残りも確実にその数を減らし、たとえばインドネシアでは二人となり、タイではついに生き残りが一人もいなくなった”(p.240)と報告されている。現在はその数がゼロであってもおかしくはないだろう。直接話を聞ける最後のタイミングであったことには違いない。

 体験者から直接話が訊ける、オーラルヒストリーが不可能となった場合、残される手段は本書でも試みられた史料研究である。膨大な史料を突き合わせていくことで「史料が語りだす歴史」がある。点と線を結びつけ都合の良い事実を導き出すのではなく、時間をかけてでも対象を総体としてとらえようとする著者の姿勢を評価したい。
(王城つぐ/メディア文化史研究)

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