【相模原19人刺殺、最大の議論】感動を与えられる障害者は評価され、与えられない重度の重複障害者は評価されない構造
■12年前から指摘されていた「職員の質低下」
さて、「津久井やまゆり園」は神奈川県が1964年に設置し、2005年度から指定管理者制度を導入して社会福祉法人「かながわ共同会」が運営している。つまり現在は公設民営の施設なのだが、これは2003年に、小泉純一郎内閣のときの「聖域なき構造改革」によってできた運営方法だった。この時の改革によって、それまで原則的に公が運営していた施設における一部の分野は、民間で運営することが可能になったのだ。もちろん、運営費を抑えることが目的だ。だが、その余波は受けざるを得ない。
そのことについては、12年以上前の2004年3月に財団法人日本障害者リハビリテーション協会の「重度・重複障害に関する調査研究事業報告書」(2004年3月)が指摘している。
<今後、職員数の不足を、非常勤化や常勤換算法などを用いて改善しようとの取り組みが増えることが予想されるが、その場合は職員の質の低下を防ぐ必要がある>
……ということだ。植松容疑者も、最初は非常勤職員として働き始めている。
植松容疑者は手紙で<今までの人生設計では、大学で取得した小学校教諭免許と現在勤務している障害者施設での経験を生かし、特別支援学校の教員を目指していました>と書いているが、これは、はじめから重複障害の介助を意識して働いていたわけではないことを物語っているのではないだろうか? つまり、重度の重複障害者に関する知識量の少なさが、現実を受け入れられない精神状態に至った可能性があったかもしれないということだ。
■12年前から指摘されていた「職員の質低下」
植松容疑者は手紙で、<保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳>と書いていたが、保護者やスタッフが様々な方法で障害者の意志を把握しようとするその過程では、そう感じても不思議ではない光景があったかもしれない。
そうした洞察がなぜ殺害に向かったのかはわからないが、事件が「24時間テレビ」や「パラリンピック」前に起きたことも、何か因縁があるのではないだろうか。これらは、感動を与えられる障害者は評価され、与えられない障害者は評価されないといった構造にあり、何らかのハンディがあっても克服し、見ている人たちに感動を与えるような障害者の存在をクローズアップさせる番組だ。
NHKの「バリバラ」でも、この事件の緊急特集が組まれたが、出演する障害者はコミュニケケーション可能な存在で、重度の重複障害者ではない。
「バリバラ」で相談支援専門員の宮崎充弘さんの次の言葉をきちんと考えないといけないと思う。
「(容疑者が衆議院議長あてに書いた手紙の)あの文言を見ると、家族の大変さ、支援者の疲弊感……あの言葉が出た時に、これって我々も感じることってあるよねって。そういう意味では、確かに(事件は)猟奇的な部分はありますけど、その前の動機的な部分でいうと、他人事ではないというようなね。僕たち職員としては、彼ら(重度の障害者)が社会で活躍できる人なんだっていうことを立証する役割を持っていると思ってます。そのためには自分での表現が苦手な方であったとしても、彼らがどう思うかというのをどう聞くか、僕たちは考えていかなければならない」
「障害の有無で評価してはいけない」というような単純な構造ではない。こうした問題について、メディアを通じて障害当事者たちが様々な意見を出しているが、彼らはコミュニケーション可能な人たちだ。重度の重複障害者の当事者たちの“本当の主張”は、まだどこにも出ていない。
(文=渋井哲也)
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