GHQに翻弄された紅白歌合戦の裏歴史! NHKの苦肉の策とささやかな仕返しの知られざる過去とは?

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■GHQが「汽車ポッポ」の歌詞にまで激怒

 番組では、並木路子の「リンゴの唄」、桜井潔楽団の「長崎物語」、川田正子の「汽車ポッポ」など今でも知られている名曲が披露され、敗戦で心が沈んでいた視聴者は大いに喜び、放送中から応援の電話が鳴りやまないなど大反響を呼んだ。しかし、その裏で近藤氏はGHQを再び激怒させかねない、もう一つの苦悩に直面していた。それは意外にも童謡「汽車ポッポ」の歌詞だった。

「〽 汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ」の歌い出しで、当時からよく知られた童謡だったが、実はこの歌は1937年(昭和12年)に「兵隊さんの汽車」というタイトルでレコード用の童謡として世に出たものだった。歌い出しに続く歌詞は、現在は「僕らを乗せてシュッポ シュッポ シュッポッポ」だが、もともとこの歌は旧陸軍の演習場があった御殿場駅での光景を描いたものだったため、当初は「兵隊さんを乗せて シュッポ シュッポ シュッポッポウ」だった。どうしても紅白音楽試合でこの歌を届けたかった近藤氏は、苦肉の策で作詞者に変更を依頼し、歌詞とタイトルを変えてしまったのだ。

 敗戦から1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ講和条約発効までの間、日本はGHQの支配下におかれ、その間に軍歌だけなく、剣道や歌舞伎の「忠臣蔵」など多くの伝統文化も「軍国主義を賛美、助長するもの」として禁止された。紅白誕生のきっかけにもなった剣道に至っては、武道の精神を一切排除した「撓(しない)競技」という情けないスポーツにすり替えられてしまったほどで、講和条約発効後の1952年10月に全日本剣道連盟が設立されるまで復活することができなかった。


■NHK近藤積のGHQへのささやかな仕返し

 実は近藤氏は、GHQにささやかな仕返しをしている。講和条約締結の機運が高まり、GHQが役目を終えようとする空気を敏感にキャッチし、条約調印よりも前の1951年(昭和26年)の正月に、悲願だった「紅白歌合戦」という番組名で第1回をフライング放送しているのだ。ラジオからスタートし、1953年(昭和28年)の第4回からはテレビ放送も始まり、近藤氏は1967年(昭和42年)の第18回まで演出に携わった。

 今年は、SMAPの出演がかなわず、目玉に欠けるとされる紅白だが、実は誕生の舞台裏には日本人の意地があった。紅白に興味がないという人も、鬼籍の近藤氏の尽力に敬意を表して、大みそかの風物詩となった紅白を見てみようではないか。

(文=中野龍/フリーランスライター)
【中野龍(なかの・りょう)】
1980年東京生まれ。日本大学文理学部史学科(日本近現代史専攻)卒。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経て、フリーランス。

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