流れ星からできた妖しい刀「流星刀」が作られた動機が中二病だった! 明治期に榎本武揚が抱いたロマンと製作秘話
隕石から金属を抽出し武器を作る。創作作品では時折見られるシチュエーションですが、日本及び世界には、実際にそれをやってのけた事例がいくつか存在しています。
まずは日本において、隕石から作られた日本刀は複数存在しています。そのうちのひとつの例は、明治時代に要職を歴任した政治家「榎本武揚(えのもと・たけあき)」の依頼から、刀匠「岡吉国宗(おかよし・くにむね)」によって、長刀2振り短刀2振り、合計4振りが作られたもので、それら全てに「流星刀(りゅうせいとう)」と同じ称が付けられています。
その刀身には、他の日本刀には見られない独特の模様が浮き上がっています。この幻想的な模様は、鉄とニッケルが混じり合ったことで産まれる隕鉄由来の刀独特のものだそうです。
つい先日のことですが、これら複数創られた流星刀のうち刃渡り約19センチの短刀1振りが、榎本武揚由来の神社である北海道小樽市の「龍宮神社」に奉納されました。こちらはニュースとして各地で報道されていますので、ご存じの方も多いことでしょう。
さてこの流星刀、作られた経緯というのが非常にロマン溢れる、くだけた言い方をするならば「男ならば誰でも理解できる、榎本武揚の男の子的中二病からきた憧れ」が動機となっているのです。
■隕石から創られた男のロマン「流星刀」とは
それでは隕石から流星刀が創られた、その経緯からご説明していきましょう。
先述の通り榎本武揚は、子爵を賜っていた当時明治政府の高官であり、数々の政府要職を歴任しています。榎本は一時期、これら要職のひとつロシア帝国大使として、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに滞在していました。
この時期に榎本は、とあるロシア帝国の秘宝と運命の出会いを果たします。それは西暦1800年頃、時の皇帝アレクサンドル1世に贈られたという、鉄隕石から作られた剣でした。榎本はその剣を見ていたく感動し「いつか自分も、この剣と同じように隕石から作られた刀を持ちたい」という望みを抱いた、と言います。
その後、隕石剣に強い憧れを持ったまま帰国した榎本は、願いを叶えるべく行動を開始します。まずは富山県のとある場所で、漬物石として使われていた(鉄隕石は大きさの割に非常に重い)鉄隕石「白萩隕鉄(しらはぎいんてつ)第一号」を発見し、それを買い付けました。
最も難しいであろう第1段階、鉄隕石の入手に成功した榎本はそれを東京へと持ち帰り、岡吉国宗に「この隕石を使って日本刀を作って欲しい」と依頼するのです。当然のことながら、日本中の刀工はもちろん、国宗にとっても「隕鉄から日本刀を作る」などという依頼は前代未聞のものでした。
国宗は数々の失敗を重ね、最終的には何とか刀の作成に成功しています。この件に関しては、榎本武揚自身が書いた流星刀の作刀レポート『流星刀記事』に「隕鉄を鍛錬するにあたり鍛合すこぶる困難にして意の如くならず」、「国宗は氏神たる氷川神社に所誓し三週間精進潔齋(行いを慎んで身を清めること)して」とあり、国宗の並々ならぬ苦労が伝わってくるかのようです。
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2024.10.02 20:00心霊流れ星からできた妖しい刀「流星刀」が作られた動機が中二病だった! 明治期に榎本武揚が抱いたロマンと製作秘話のページです。たけしな竜美、榎本武揚、流星刀、武器紹介シリーズなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで