【10月25日(水)、高円寺パンディット(@tetsuo_pundit)にて、「今、話題のサプール。彼らのリアルな生き様を切り取る3時間イベント!!」開催 本稿筆者の酒井透が登場】
2016年4月24日、“サプールの王”と呼ばれていた男がこの世を去った。男の名前は、パパ・ウェンバ(享年66歳)という。
パパ・ウェンバ/撮影:酒井透
■“サプールの王”と呼ばれたパパ・ウェンバ
“サプールの王”であり、アフリカ/コンゴ民主共和国のミュージシャンでもあったパパ・ウェンバは、西アフリカ/コートジボワール(=国名)の最大都市であるアビジャンで行われていた音楽祭の公演中に倒れ、その後、搬送先の病院で亡くなった。死因は、心臓発作だった。
パパ・ウェンバは、“サプールの王”であるとともに“コンゴ・ルンバ・ロックの父”としても、その名を轟かせていた。ルンバ・ロックというのは、コンゴ民主共和国のポピュラー・ミュージックのことで、日本では、同国の公用語であるリンガラ語のアタマをとって“リンガラ・ポップス/リンガラ”と呼ばれている。パパ・ウェンバは、1970年代後半にザイール(現在のコンゴ民主共和国)の音楽シーンに一大革命をもたらした。
パパ・ウェンバ/撮影:酒井透
1949年、ベルギー領コンゴのカサイ・オリエンタル州にあるルベフという村で生まれたパパ・ウェンバは、1976年にヴィヴァ・ラ・ムジーカというオルケストル(バンド)を結成している。自身がリーダーとなるのは、このオルケストルが初めてだった。
サプール/撮影:酒井透
パパ・ウェンバは、このオルケストルを立ち上げると、ヨーロッパの最新ファッションであるジャン・ポール=ゴルチェやマリオ・ヴァレンチーノなどといったブランドものの洋服を着て、マイクを握ったのだ。これは、ザイールの音楽界にとって革新的なことだった。ワイルドでアグレッヴなサウンドと併せて、パパ・ウェンバは、キンシャサの人々の心を鷲づかみにした。