箱根駅伝の“生みの親”がヤバすぎる! 55年間失踪した伝説の日本人ランナーだった!
■箱根駅伝を生みの父「消えた日本人」
しかし、本戦のオリンピックでは、とんだ災難に見舞われることになる。なんと「試合中に消えた日本人」として一騒動になってしまったのだ。予選会での失敗から足袋に改良を施し、裏地にゴムを貼付けた「マラソン足袋」で出場するも、石畳のコースと40度を超える猛暑に苦戦し、日射病から意識を失いコース上に倒れ込んでしまったのだ。それを見た近くの農家に介抱され、目を覚ました時は競技も終わった翌日の朝であった。しかしこれは金栗のせいだけではない。ストックホルムまで船と列車を使って20日以上の長旅を強いられた上に、慣れない食生活、あげくのはてには大会当日に来るはずだった迎えの車が連絡ミスで現れず、走って競技場まで行かねばならないというアクシデントの積み重ねがあったのだ。とはいえ、日本国民の期待を一身に背負っての出場だけあって、深い自責の念から、オリンピック委員に棄権の報告などをせずに静かに帰国の途についた。その後、金栗は二度オリンピックに出場するが、成績はふるわなかった。
月日とともにストックホルムでの失踪事件については忘れ去られていった。アメリカ横断マラソンは実現しなかったものの、金栗が作った箱根駅伝は長距離マラソンの登竜門となり、女子長距離走など一層今後の日本マラソン界のために貢献していた。
ストックホルムの大会から55年経った1967年、金栗はスウェーデンのオリンピック委員会から、記念式典に招待されることとなる。ストックホルムでオリンピック55周年の式典を開催することが決まり、過去の記録を整理していると、まだ競技中の日本人が見つかったのだ。金栗が、マラソン競技中において「失踪、行方不明」になったままで、棄権の意思が確認されていない以上「競技続行中」であると判断されたのだ。委員会が金栗を招待したのは、この競技中の日本人をゴールさせようという粋な計らいがあったのだ。すでに75歳になっていた金栗は、スーツにネクタイを締め、ロングコートのまま、競技場をゆっくりと走った。55年前たどり着けなかった競技場を。そして長い競技に終止符を打つべくゴールテープをウィニングポーズで走り切った。
溢れんばかりの拍手喝采の中、アナウンスが流れた。
「日本の金栗、今ゴールしました!タイムは54年と8ヶ月6日5時間32分20秒379」
こうして第5回ストックホルムオリンピック大会はようやく大会の全行程を終了することができたのであった。1983年11月13日、金栗は92歳でこの世を去った。オリンピック史上最遅のランナーが残した箱根駅伝という遺産は、これからも日本マラソン界を牽引していくことだろう。
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