今の日本に“尖った生き方”をしている人がいない理由とは? 鬼才映画監督・原一男が怒りのインタビュー

■平成のニッポンに、尖った生き方の人はいない

今の日本に尖った生き方をしている人がいない理由とは? 鬼才映画監督・原一男が怒りのインタビューの画像4c疾走プロダクション

――最新作の『ニッポン国VS泉南石綿村』では、過去作にあったような、撮り手と被写体の強烈なせめぎ合いや葛藤などはあまりなかったような気がします。いま、映画を撮る方法論や意味については、どのようにお考えですか?

原監督 最新作で撮ったのは、裁判の原告団とはいえ普通の人たち。全然尖ってない。逆に言えば、普通の人を撮ってどう面白くなるかの模索でもありました。

 もう今の日本には、尖った生き方をしている人はいないんですよ。私もようやく最近、自分の考える、ヒーローになり得る主人公がいないと納得しています。


■私たちはもっと怒らなくてはならない

今の日本に尖った生き方をしている人がいない理由とは? 鬼才映画監督・原一男が怒りのインタビューの画像5撮影=編集部

――なぜ、いまの日本に尖った生き方の人がいない、出てこないのでしょうか?

原監督 そういう人がいた日本の1960~70年代は、経済の発展に向かう世の中だったわけです。みんなが豊かになっているので、社会にも余裕があり、それが尖った生き方を許容してきた。許容しても、他の人たちは自分たちなりの価値観で経済成長できていたからです。

 でも、時代が平成となり、あまり経済成長が見込めなくなってくると、貧困層から搾取するため、資本家は彼らへの圧力を強めます。だからこそ、そうした権力者に反抗するような尖った生き方をする人を許す余地はなくなる。そういうことだと思います。

 しかし、今回の映画を作ってみるとなおさら、そういう圧力に屈せず、もっと怒る力をもって抵抗すべきだ、と思えてくるのです。資本家や、戦争ができる世の中に向かうような政治力に甘んじて、大して怒らずのうのうと日常生活を過ごしているのは、資本家に加担することじゃないですか? むしろ犯罪性さえあると言える。そんな風にも感じます。いまこそ、もっと怒った方がいい。怒りの力が世の中を変えるのではないでしょうか。

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