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 20世紀半ば、イギリスの小説家オルダス・ハクスリーは、幻覚剤を使ったサイケデリック体験を通して人間の知覚の可能性と芸術の意味について考察、著書『知覚の扉』にまとめ、精神世界ブームを巻き起こした。サイケデリックな幻覚は人々に精神の拡張や認識の変化をもたらすことから、古くから宗教儀式などで効果的に用いられてきたのだが、現代では幻覚剤の多くが法律で規制され、我々が体験することは難しくなっている。だが、幻覚剤なしでも知覚の扉を開く方法はあるという。オルタナティブメディア「Collective Evolution」が伝えている。

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画像は「Collective Evolution」より引用


■知覚の扉を開ける鍵

 記事によると、知覚の扉とは、外部からの情報をフィルタリングする脳や中枢神経系、そして身体と非身体の両方の感覚、視覚、聴覚、味覚、嗅覚を含んだものだという。「自己」と「非自己」の違いを見分けている感覚のゲートである。全ての物事に「生」を感じ、世界が明るく輝いたものに見える特有の感覚は、「扉」を開けたことによる意識や認識の変化によるものだ。精神病の一部ではこのゲートが適切に働いていない場合があり、その刺激による過負荷が生じているという。

 だが、かつてサイケデリックな幻覚を使いこなしていたシャーマンらは、幻覚剤なしでその扉を制御し、開け閉めする方法を知っていた。扉を開け閉めする「鍵」は我々自身にあり、意識を変えることは薬なしでも可能なのだ。そしてその能力を開花させるのは「催眠と瞑想」であるという。

コメント

5:匿名2018年11月 3日 01:37 | 返信

こういうのは「方法論」として表に出て来るが
実際には資質のある人間が目覚めたプロセスの開示。
だからそうでない人間には難しい。

4:匿名2018年11月 1日 23:03 | 返信

コメ欄を見てて、ああ3年ほど前の俺もこうしたことをバカみたいに熱く語っていたな、と思い出してまだまだ未熟で幼稚であったとふと思った。
今もまだまだアホのクズだが、以前よりは少しだけマシになった。

3:匿名2018年11月 1日 16:14 | 返信

無念無想の状態に長く留まることができれば瞑想は進む。
念というのは言語による思考、想というのはイメージの想起。
これらを止めると意識も止まるので、どこかの身体感覚に集中する。
一番簡単なのが数息観、出入息に合わせて数を数える。
数を意識して数えるので他の言語思考は止まり数を数えることに専念するので
イメージの想起も少なくなる。
そこで数えるのを止めて丹田などの身体感覚に集中、雑念が少ない状態で集中できる
雑念が出て来たら即止めてまた数息、無念無想に近い状態だけで瞑想する習慣をつける
慣れて来ると自我と無我の境目、自我の想起、無意識の使い方が判る。

2:匿名2018年11月 1日 14:47 | 返信

>方法
例えば神は絵に描いた餅じゃなく、
実際に自分の傍で見て居る位に意識するって事。
年に1回の初詣位しか意識しない様じゃ神は現れない。

1:匿名2018年11月 1日 14:32 | 返信

「方法」を書いてよ!

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