■ボンダンスで出会った福島の若者から受けた衝撃
ーー福島を意識したのはいつ頃でしたか?
岩根 東日本大震災からですね。ハワイのボンダンスで一番盛り上がる「フクシマオンド」っていう盆唄があるんですよ。「この唄はどこから来たんだろう?」っていう所から、福島に入って行ったから。
ーー震災発生の段階では福島は撮っていませんでしたよね。いつハワイと福島が繋がったのでしょう?
岩根 2011年の夏に、マウイの人たちが募金を募って、東北全域の被災した人たちをマウイ島に招待したんです。福島県の双葉郡の子たちが30人くらいいて、ボンダンスに遊びに来ていたんですよ。『フクシマオンド』が始まったら、その子たちが「わあ、この歌知ってる!」って急に走って行って踊り出したんです。「もう盆踊りはできないと思っていから、ここで踊れるとは思わなかった」って。その感じが本当に強烈で。
ーーそのままドラマのワンシーンになりそうですね。
岩根 「この歌は本当に福島から来たんだ」っていうことを、十代の子たちの肉体から知るっていうか、100年以上の時間が急に目の前に現れたような感じがしたんです。その子たちがマウイにいることも、その時の福島の1つの姿じゃないですか。現在の福島と120年くらい前の福島がそこで急に重なった。唄が本当に彼女たちの中に生きていたというのが本当に衝撃的でした。
ーー歌って、タイムカプセルみたいなものですね。
岩根 そうなんですよ。ある種、写真と似ているところもありますよね。
■福島とハワイ、それぞれの盆踊り
ーー写真集に、ボンダンスで踊っている最中の人たちをスナップした、グルーヴ感のある写真が続く部分があるのですが、ハワイのボンダンスは赤い光で、福島の盆踊りは青い光で撮られています。そこに意図のようなものを感じました。
岩根 実は、全然そんなことはなくて。福島を青で撮り始めたのが先なんです。ハワイの「フクシマオンド」はずっと撮ってきたけれど、そのルーツである福島のお盆がわからないからちゃんと体験したいと思って、ご縁のあった三春町の人たちにお願いをして、空き家に1か月半くらい滞在させてもらったんです。夏の間、三春町でも何回も盆踊りをやるんですよ。それに全部参加したりして。三春町の盆踊りの特徴に「曲打ち」っていう、三人並んで、バチを回しながら太鼓を叩いて、後からどんどん打ち手が入れ替わっていくのがあるんです。それがすごく格好よくて。
ーー写真から伝わります。
岩根 実際に福島に行くと、お盆に関してだけでなく、ハワイよりも土地とより強くつながった習慣があるわけですよね。何百年と伝わっている伝統があって、今の姿があって。私が見ているのは目の前の一瞬なんだけれど、ただそのまま撮ったのでは、そこで私が感じていることが伝えられない。それを写真にするにはどうすればいいか試行錯誤したんです。ストロボを焚いてバックを落とすとか、暗幕を張るとか、いろいろ試したんですよ。青い写真になったのは、最初はモノクロにしようと考えたかから。光量を落とすために、たまたま持っていた青のフィルターを付けて撮ってみたら、これならイケるって。それで福島では青で撮ったんです。
ーーハワイはなぜ赤で?
岩根 まずは福島と明確に色を分けようという意図がありました。赤になったのはハワイのボンダンスの照明がすごく古くて光そのものが赤いから、デジカメで補正なしで撮ると真っ赤になるんです。あとは、マウイ太鼓の法被が赤かったり。そんなことがあって、単純に赤にしただけなんです。
ーーまったく違うことを想像していました。ハワイの赤は、流れ出る溶岩の赤。福島の青は、放射能という、目に見えず匂いもしない、得体の知れない物質が放つ冷たい恐怖を表しているのかと。深読みし過ぎですね(笑)。
岩根 写真集を出した後に対談した写真家の方にも突っ込まれたんですよ。「なんで青なんだ?」って(笑)。最初、色には意味がなかったんです。