■人と場所、時をつなげる写真というメディア
ーー写真集の中には8インチ×2メートルの大きなパノラマ写真が収録されています。ハワイの日系人コミュニティでは、お葬式のさいに、360度を撮れる大判パノラマカメラで、親族一同の集合写真を撮る習慣があったそうですね。
岩根 お葬式やお寺での会合など、人が大勢集まる時にも撮っていたみたいです。
ーーそれと同じカメラで、岩根さんは福島の被災者を、その人たちと関わりのある場所で、360度のパノラマで撮るプロジェクトを進めています。どうしてそのプロジェクトを始めたのですか?
岩根 2008年に、1950年代に撮影された葬儀の集合写真をハワイで見つけたんです。写真に興味を持ってカメラを探したんですが情報がなかった。それが、2011年にマウイ島に行ったときに、ナガミネフォトスタジオという写真館で昔使われていた「コダック・サーカット(Cirkut)」というそのカメラに出会えたんです。「売ってくださいって」頼んだら「おじいちゃんの思い出だから売りたくない。けれど、直して使いたいんだったら使っていいよ」って言ってもらえた。
ーーやっと出会えたわけですね。
岩根 でも、こんな、2メートルのフィルムを使うような大きなカメラを私が使っていくのなら、新しい武道を習うくらいの覚悟をしないと技術的にも精神的にも向き合えないと思ったんですよ。三春町に拠点を構えて長期滞在しようと思った理由にはそれもあったんです。その三春町で泰助さんたちに出会った。一番最初にサーカットで撮ったのが故郷・富岡町での泰助さんなんです。
ーー震災のときに、写真を撮ろうと被災地に入った写真家はたくさんいましたけれど、岩根さんはそういう気持ちにはならなかった?
岩根 撮りたいとは思いませんでした。 福島に行き始めたのは、ハワイで知った「フクシマオンド」の故郷を探しに来たのが第一の理由だったし。でも、ハワイで出会ったこのカメラでなら「フクシマオンド」の故郷である地域を撮ってもいいんじゃないかと思ったんです。泰助さんが自分の田んぼで奥さんと2人でポツンといる写真を撮ったんだけれど、震災が起きなければ、本来彼らが毎日見ていたはずの360度の風景だったわけじゃないですか。その写真を渡した時にすごく喜んでくれたんですよ。「撮影のようなことがなければ自分の町には行かないしな」みたいな部分も彼らにはあって。そこから、避難している人たちと話をして、彼らの故郷である場所に連れてってもらって撮影することを始めたんです。
ーーあの写真を見たときに、機材とフォーマットも含めて、岩根さんはハワイと福島をつなげたんだと思いました。ハワイの日系移民が自己のアイデンティー、地縁、血縁を確認して後世へと伝えていくために撮っていた写真と同じカメラを使い、福島の被災者と変えることが困難な故郷とのつながりを後の世へと伝える、同じ意味合いの写真を撮っているんだって思ったんですよ。
岩根 確かに、私が福島に行ったのはハワイがあったからだけれど、サーカットで撮影を始めたのは、カメラに出会ってしまったからなんですよね。