ーーハワイと福島のおのおので、盆踊りの参加者を撮ったスナップポートレートも収録されています。昨年TOCANAで記事にした写真家・内藤正敏さんが恐山のイタコが一晩中繰り広げる祭を撮った『婆バクハツ!』を見た時と同様の印象を感じました。
岩根 私ね、多分、内藤さんのその写真に影響を受けてるんですよ。写真集を出していろんな所のインタビューを受けるようになって、「影響を受けた写真家は?」みたいな質問をされる中で思い出したんだけれど。
ーーそうだったんですね。
岩根 私が通っていたカリフォルニアの高校に小さな図書室があって、そこに『World Photography』っていう本があったんです。世界中の写真家の写真が乗ってるんだけど、一番自分に刺さってきたのが内藤さんの『婆バクハツ!』だったんですよね。もう、好き過ぎて、本を盗んで持って帰ったくらい。
ーー(笑)
岩根 だから、今思うと、ライティングとかすごい影響されているんですよね。10年以上もハワイでいろいろ撮ってきて、試行錯誤するなかで悩み抜いた結果なんですけれど。
■両親からアメリカへと逃げた青春時代
ーー日系ハワイ移民の墓と出会いから『KIPUKA』を作るまでには、岩根さんの育ってきた環境が密接に結びついていると思うんです。ご両親は、ある新興宗教の宗教の信者で、それが原因で、岩根さんは家から離れたのだと聞きました。
岩根 両親が入信して、私が住んでいた家が乗っ取られて教会になっちゃったんですよ。彼らには彼らの信仰があるのだと今は思えますが、当時の私にとっては普通に過ごしていた日常が急変してしまった。アメリカの高校に行ったのは、簡単に言えば、家出の成れの果てです。最初に向こうに行ったのは15歳の時。高校に入学したのは16歳になってから。まずは家を出て祖母の家に避難して、それからいろんな所でお世話になりました。
ーーそのことが、岩根さんの写真につながっている。
岩根 私が日系移民に惹かれるのは、そういう、何もない場所に最初に行って、すべてを築いたパイオニアのような人たちにグッと来たことがあるんじゃないかと思います。ハワイにはじめて行ったときに、お墓に惹かれたのはそういうことだったんじゃないかと今は思う。だから、『KIPUKA』のきっかけにはなっていますよね。
ーー進学したカリフォルニアのペトロリアハイスクールは、オルタナティブスクールって言うんでしょうか、特殊な学校だったんですか?
岩根 そうですね。かなり(笑)。全校生徒が22人で、ユダヤ系のヒッピーたちが作った学校。1960年代にサンフランシスコのベイエリアで反戦活動をしていた人たちが、歳を重ねて家庭を持つ年齢になった時に、森の中に移住したコミュニティがカリフォルニア北部にいくつかあるんですけれど、その1つです。
ーーどんな人たちが通っていたんですか?
岩根 汚い格好で畑とかを耕してたから、学校にいた時は気づかなかったけれど、実はみんな超大金持ち。お金のために生きることをやめて、フラワーチルドレンの思想で生きていこうと決めた人たちでした。本当に何もない所だったから、電気とか水道は自分たちで確保して。オフグリッドっていうのは結局、何からも自由っていうことなので。
ーー当時の言葉で言えば「進歩的」って言うんでしょうね。
岩根 でもね、めちゃめちゃ論理的で、ヒッピカルチャー的なこととかネイティブアメリカンの思想とかと交わることが嫌いな人も創立メンバーにいたんです。だから。バランスはよかったと思います。授業もしっかりしてたし、すごく楽しかった。
ーー写真を始めたのは高校生の時ですか?
岩根 写真を撮ろうと自覚的に思って始めたのは高校の時です。でも、子供の頃、誕生日プレゼントにカメラを買ってもらったんですよ。自分で欲しいって言って。長い間そのカメラを使っていました。もともと写真に興味はあったんですね。ペトロリアに入る時に一眼レフを手に入れて、向こうでも撮っていました。その頃から「写真を撮りたい」と思って撮ってましたね。