■風土と不可分につながる福島の人々
ーー地縁の薄い東京の中野区出身で、家族との血縁を切って、単身アメリカに渡った。そういう、何をせずとも所属意識、自分のルーツが感じられるコミュニティからつながりを絶った、という岩根さんの環境から『KIPUKA』が生まれたんだと思いました。
岩根 そうかもしれないですね。それで、福島に行くようになったことで『KIPUKA』が作品になったというのはあります。福島の人たちのように、土地と密接につながっている感覚というのは、私がまったく知らないことだったから。写真集の後半は、ずっとそれを追いかけて撮っていたっていうことなんですね。
ーーそのことは、前半のハワイを撮った部分にも関係していませんか?
岩根 ハワイの日系移民の間では、「自分たちの伝統を残そう」っていう強い意志があるんです。伝統をなるべく変えずに継いで行こうって。日本から移民してきた先祖が何をしていたかっていうことを、子孫に語り継いていくことをすごく大事にしている。それは、自分たちが、日本という土地につながっている確証がないから。ひいおじいちゃんの言っていたことを大事にして語り伝えていくことが、彼らの手がかりなわけですよ。だからこそ、それをすごく大事にする。それが、福島に行くと、自分の生きている土地と体でつながっている人たちがいるんです。写真集の後半に出てくる橋本広司さんという人がその1人。広司さんがいてくれたことで、この本に込めた要素が全部つながったんだって、私は思っています。
ーー広司さんはどんな方なんですか?
岩根 三春の高柴デコ屋敷という、伝統工芸のデコ人形、お面作りと伝統芸能のひょっとこ踊りを受け継ぐ橋本広司民芸の十七代目の当主です。広司さんの「ひょっとこ踊り」は舞踏なんです。広司さんに「ひょっとこ踊りとは何なのか?」って訪ねたときに、「ひょっとこのお面をして、自我がなくなるくらいまで踊りきる。羞恥心や自分の感情がすべてなくなったときに、自分の後ろにある自然や歴史、先祖とつながるんだ」って教えてくれたんですよ。それにしびれちゃった。
ーー説得力がありますね。
岩根 広司さんがいつもそういうことを思って踊っているのが、踊りを見ているとわかるんですよ。広司さんという人が、季節や土、風土っていうものを司る存在で、その語り部のような気がしたから、三春に行くといつも、季節ごとにいろんな撮影をしていたんです。春夏秋冬、いろんな場所で撮った写真がある。
ーー広司さんと同じように、お面をかぶったような男性のスナップポートレートがありましたね。
岩根 あの人は、齋藤泰助さん。富岡町から三春に避難してきたおじいちゃんです。泰助さんも、広司さんに出会って、惚れ込んで、「俺もひょっとこ踊りをやりたい」って。私、その出会いの瞬間にいたんです。私が広司さんの家にいたら、泰助さんがやってきた。広司さんって「じゃあ踊ろうとか」って言って踊り出して、そのへんにいる人にお面とかを着けて踊らせちゃうの。それ以来、泰助さんは「自分はひょっとこ踊りをやっていく」って、「三春にこれからお世話になるんだから、その伝統を継いで三春の役に立ちたい」って言って。新しい土地としっかり通じて生きていきたいって思ったんでしょうね。
ーーうーん。
岩根 泰助さん、「震災があったから自分は三春に来れて、ひょっとこ踊りにも出会えたんだ」とか、「そんな自分は幸せ者だ」とか、ポジティブなことしか言わないんですよ。生まれ育った場所から切り離されても泣き言は一切言わない。この写真は、泰助さんの顔にひょっとこのお面をプロジェクションして撮っているんです。泰助さんの顔が透けるようにお面の映像を投影して。
ーーなぜ、そんな撮りかたを?
岩根 ひょっとこのお面と泰助さんの顔の間にあるものを撮りたいって思ったから。