※【開催中・写真展】野口健吾写真展「Along the Way」は東京・丸の内のエプサイトにて
昨年11月、銀座ニコンサロンで「庵の人々 The Ten Foot Square Hut 2010-2019」というタイトルの写真展が開かれた。
作家は野口健吾さん。展示された写真は野宿者と彼らが生活する小屋とを撮影したものだ。およそ10年にわたる期間に撮られた膨大なカットの中から選び出された写真は会場を狭く感じさせた。写真に写る、それぞれに工夫を凝らし作り上げられた生活空間とその住人たちの表情は多種多様で、彼らの日常、来し方や行く末に思いをはせずにはいられない。
「庵の人々」を取り始めた経緯。撮影を通して考え、見えてきたこと。この1月6日から始まった新作の写真展について話をうかがった。
◾︎石垣島のジャングルで出会った独居老人
ーーなぜ「庵の人々」を撮り始めたのですか?
野口 僕は横浜に住んでいるのですが、電車で多摩川を渡る時にブルーシートで作った小屋が並んでいるのを日頃から目にしていて、存在として気になっていたんです。それと、学生時代に沖縄をヒッチハイクしていた時に、石垣島北部のジャングルで、独りで生活している老人に出会ったことが大きなきっかけになっています。
ーー沖縄や離島地域にはロビンソン・クルーソーのような老人が何人かいますよね。野口さんが出会ったのはどんな方でしたか?
野口 タジマさんと言って元々は埼玉の人らしいです。最初の出会いから3回撮影させてもらい、「海辺の老人 An old man on the beach」という作品として完成したのが26、6歳の時。タジマさんとの出会いは、学生だった自分にとっては強烈なカルチャーショックで、そこから都市の路上生活者や多摩川に小屋掛している人たちを訪ねるようになりました。当初はダンボールハウスの住人や路上に寝ている人も撮っていましたが、今のスタイルに落ち着いたのは2010年くらいからです。
ーー最初に撮ったのはどこですか?
野口 横浜の鶴見川と渋谷の宮下公園です。
ーー撮影したいと思った人にはどのようにアプローチするのですか?
野口 挨拶をして「立派な小屋ですね」とか「どんな風に作ったんですか」っていうように世間話から始めます。最初はカメラは出しません。「ほっといてくれ」っていう人たちが圧倒的に多いから、10人に声を掛けて撮らせてくれるのは1人か2人。確率としては少ないです。話をしてもらえないこともあります。そういう時は「ありがとうございました」と言って、その場を去ります。
ーー10年間でどのくらいの場所を回ったのですか?
野口 基本的には自分の生活圏内が中心ですが、多摩川、鶴見川、隅田川、荒川、宮下公園、上野公園、代々木公園、隅田公園、そのほかの小さな公園とか。茨城県では東京藝大取手キャンパスの近くの野宿者のコミュニティにも行きました。
ーー茨城県と言えば、NHKでドラマ化された「岩窟おじさん」は一時期、小貝川周辺で生活していたはずです。
野口 そこでも撮りました。そういうコミュニティは探すと意外とあるんです。ほかには大阪の淀川。学生時代にストリートスナップを撮っていた頃には西成にも行きました。写真を撮っている学生なら井上青龍とか森山大道に憧れる時期ってありますよね。西成で撮っていてヤクザに追いかけられたとか。当時はモノクロ写真で暗室作業もすごくやっていて「森山病」みたいな感じでした。あとは沖縄ですね。
ーー野宿者支援団体のサポートを受けたことは?
野口 池袋の「てのはし」や渋谷の「のじれん」、新宿の「スープの会」には知り合いもいますし何度か参加したこともあります。でも、撮影そのものは1人で続けてきました。
ーー10年間で何人を撮ったのでしょう?
野口 撮影したのは50~60人。出会ったのは500人から600人でしょうか。
ーーみなさん、どのような背景を持った人たちなんでしょうか?
野口 高度経済成長期より土木の仕事をしてきた結果、年老いて仕事がなくなり、経済的な理由からそういう生活をしている男性単身者が圧倒的多数ですが、それぞれ千差万別。多様です。