◾︎「庵の人々」は現代の『方丈記』
ーー「庵の人々」というタイトルから、野口さんはこの作品を鴨長明の『方丈記』になぞらえているのでは、と思いました。
野口 撮影をしていて「そういえば国語の教科書に載っていた『方丈記』の庵ってこういう小屋、あばら家だよな」って思ったんです。「方丈」って、今でいうと3メートル四方。四畳半よりちょっと大きいくらい。10年間、定点観測的に何度も撮りに行っていると、小屋が潰れていたり、火事で焼失したり、台風で吹き飛ばされたり、住人がいなくなっていることもあるんです。それで、あらためて読んでみたら、鴨長明の無常観とすごくマッチしたんです。
ーーやはりそうでしたか。
野口 人と住みかというのは本当にコロコロと変わっていく。同じままのものなんてないし、常にそこにあるものなんてない、ということが自分の写真にそのまま現れていた。それでますます『方丈記』は面白い、示唆に富んでいると思いました。「自分が撮っている写真と同じことを鴨長明は1000年前に書いている」と強く感じたんです。「時空を超えて不変なものはない」ということが不変。「変わらないものはない」ということは変わらない、っていう。
ーー『方丈記』の背景は都の大火事や飢饉、竜巻や大地震といった自然災害が多発して、多くの人が不安に陥った時代です。その状況が今と似ているような気がしていて。野口さん自身、『方丈記』と「庵の人々」である野宿者に対して思うところはありますか?
野口 いつ地震が来るかわからない。物があふれる一方で大量に廃棄されている。環境破壊が進んでいる。そういう時代のなかで『方丈記』や野宿者の生活、一般社会から離れた場所で独自の生活を築いている彼らの生き方には、現代を生き抜くヒントがあるんじゃないかと思います。
ーー野宿者たちと鴨長明に通底している部分は何だと思いますか?
野口 それぞれが多様だから「野宿者はこうだ」というように一般化することはできません。でも、あえて言うなら「必要最低限のモノでタフに生きている」ということでしょうか。あとは、自身の「老い」や「生と死」を見つめていますよね。住んでいる所も仮の宿に過ぎないし、つねに孤独と向き合っている。鴨長明も、他者との交流はあったけれど、隠遁と言ってああいう生活をしていたから、余命のこととか孤独のこととか、一方で、自由であることだったり、向き合って考えたのだと思います。野宿者は生活保護を受けて施設に入ることもできると思うんです。けれど、あえてああいう生き方を選んでいる人もいる。