▪︎生活者にとっては日常しかない
ーーお話をうかがっていて、『東京、コロナ禍。』は、コロナ禍の写真集でありながら、初沢さんの「東京スナップ日記2020」だ、という印象を持ちました。ニュースの現場も写しているけれど、普段は目に止めないような東京の人や場所を撮った写真を、ピークを作らずに淡々と並べているのが面白いです。マスメディアのヒステリックな報道とは一線を画した生活者の日常が表れていると思いました。
初沢 「日常」と「非日常」というふうに分けてものを見る枠組みがありますよね。コロナ禍でも成り立つと思うけれど、生活者にとっては突き詰めれば日常しかないと思うんです。非日常の中に日常があるというか、日常がないということはありえないんですよね。
ーー確かに。冒頭の写真は何かの始まりを暗示するものではないし、事件性のある写真を交えながらも、一見なにも起きていないような日々の情景が続いていく。そして、最後の1カットで方向を失わせられる感覚。新型コロナウィルスそのものがわかっていないことの不気味さ、今後どうなるかもわからない不穏さのなかにあっても日々の生活は続いていく感覚。いまだ終わらないコロナ禍の東京の半年間をそのままを切り取って1冊にしたような印象です。
初沢 自分でも何を撮ったらいいかわからないなかで撮っていますから、撮り手の迷いのようなものも写っているかもしれませんね。
ーー撮り手の迷い、ですか。
初沢 沖縄にしても北朝鮮にしても、これまではしっかりテーマを決めて何度も通ったり住んだりして、納得いくまで撮って、言葉のうえでも腑に落ちた段階に至ってから写真集にしてきました。でも、今回は、僕自身が不安を抱えて生きている東京人として、街を歩いてシャッターを切っているわけだから。何年か後には「あの時はこうだった」って言えるかもしれないけれど、撮った僕も見る側もいまだ禍中にあるので、総論の形で語れることがない。結果的にですが、写真家らしい投げ出し方になったとも思います。
ーー作品集にすることは1つの区切りを作ることでもあると思うのですが、それが感じにくい構成にも現実味を感じました。
初沢 それが正解なんじゃないでしょうか。コロナ禍というものを、一片のドキュメンタリー映画のように、落とし所に向かって進んで行く物語にしないことがより現実的だし誠実だと思うんです。