【日本初】上位3%の霊能者を集めた「霊能プロダクション」社長・伽耶さんの壮絶人生とは? 低級霊、イタコ、黒魔術…
日本初の「霊能プロダクション」を立ち上げ、そこで代表を務める株式会社霊能プロダクション・代表取締役の伽耶さん。雑誌「Cawaii」の読者モデルやダンサーなどの芸能活動をしていたという彼女は20代前半で原因不明の病に倒れた。12年間の闘病生活を強いられた後、除霊によって病が完治した経験から「私のような原因不明で苦しんでいる人を救いたい!」という思いで霊能プロダクションを起業。自らも魂の翻訳者としてクライアントの心身の健康に貢献しているという。一児の母でもある伽耶さんに霊能プロダクション立ち上げのきっかけや活動内容について伺った。
――もともと霊能力があったのですか?
伽耶さん(以下、伽耶) そんなにないと思います(笑)。ですが、幼児の頃は夜になると霊に話しかけられたり、神社の近くに行くと声が聞こえたりすることがたまにありました。あと、記憶に残っているのは、怪我をしそうになる直前に“謎の手”が差し伸べられたりしたことでしょうか。ただ、小学校に上がるとそういうことがなくなってしまい、自分の体験は夢だったと思うようになりました。
――しかし、大人になってまた霊能力が芽生えた?
伽耶 10代後半から雑誌モデルやダンサーとして芸能活動をしていて、大阪と東京を往復する日々を送っていました。テレビ出演なども徐々に増え、人気が出そうになった20歳前後の頃、原因不明の頭痛・はきけ・動悸が一気に襲ってきたのです。その時は「休んだらどうにかなるだろう」と思って、少し休んでまたすぐに芸能活動を続けました。でも、23歳くらいの時に本当に動けなくなってしまって。芸能活動を休止して大阪に帰ったのですが、そこから入退院をほんまに30回くらい繰り返したでしょうか。死にかけた回数でいえば100回をゆうに超えています。
――100回以上死にかけた!?
伽耶 はい。病院に行っても、なぜ悪いのか突き止められず、突き止めてもまたすぐに悪いところが変わっていき、病名が何十個も重なっていました。どこを治療すればいいかもわからいし、投薬治療も行って、悪循環が続きました。体調が悪すぎて、精神的にも不安定になり、まさに暗黒の12年間でした。本当にしんどすぎた。
――どうやって乗り越えられたのでしょうか。
伽耶 体調が悪いまま適齢期に突入し、子供がほしくなりました。そんな時、今の娘がお腹に宿ってくれて、さまざまな運命が流れて、産ませていただくような流れになって。娘の顔を見た時に、本当にこの子を幸せにしてあげたいという気持ちが芽生えました。この子に尊敬されるような母親にならないとアカンと思って、そこでかなり目が覚めましたね。
――そこから霊能力が身に着いたのですか?
伽耶 それで、娘もできたし「自分の体調が~とか、言ってる場合じゃない!」と強く思った瞬間です。本当に右上の方からドカーンと雷が下りてきて。ほんとに、頭の中というか、全身にドカーンと、何かが落ちてきて。小さい頃のように霊の存在がまた認識できるようになったのです。
――それはいつ頃でしょうか。
伽耶 雷が落ちてきたのは31~32歳の頃です。もともと私の母親のルーツが伊勢神宮に入っている大山祇神社(伊勢神宮 内宮所管社)なのですが、そこの宮司さんにお会いしたりして、さらにスピリチュアルな出来事が続きました。そうこうしているうちに、自分の周りに100体くらいのお化けがいることもわかってきて、除霊してもらったら、不調だった体がすべて治ってしまったんです。
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2024.10.02 20:00心霊【日本初】上位3%の霊能者を集めた「霊能プロダクション」社長・伽耶さんの壮絶人生とは? 低級霊、イタコ、黒魔術…のページです。霊能者、霊能力、伽耶、株式会社霊能プロダクショなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで