ウクライナ侵攻が生んだ「UFOタブー」とは!? 人類と宇宙人の“交換留学”まで岩手大名誉教授が暴露!(インタビュー)
まず、「プロジェクト・セルポ」のウェブサイトを運営していたビル・ライアンは、同僚のケリー・キャシディとともに、「プロジェクト・セルポ」の予備宇宙飛行士だったと思われる高齢男性の所在を突き止め、その人物との接触を2006年4月に試みたことを公表しました。この接触の試みが、諜報機関へ通報されたこと、また、接触直後から「プロジェクト・セルポ」についての内部告発者からの情報が途絶えたことなどから、二人はその高齢男性がプロジェクト・セルポに関わっていたことを確信するようになったといいます。
また、『Communion(コミュニオン)』の著者であるホイットリー・ストリーバーは、人類とエイリアンの交換プログラムに1960年代に参加したという高齢男性と1989年から1990年までの間にフロリダ州ガルフブリーズにおいて開催されたUFO会議で3回接触したことがあると2005年12月のラジオ番組に出演したときに述べています。
ホイットリー・ストリーバーによると、その男性が、交換プログラムを「SERPICO(セルピコ)」と言っていたと記憶していましたが、「SERPO(セルポ)」の聞き間違えだったかもしれないということです。ホイットリー・ストリーバーの主張には、プロジェクト・セルポという名前は出てきませんが、「プロジェクト・セルポ」の話題に、若干の真実味を与えています。
これとは別に、スティーブン・グリア医師が2001年5月に主催した「ディスクロージャー・プロジェクト」(UFO関連の機密情報の公開を推進する団体名)の記者会見において、ダニエル・モリス・ソルター元空軍曹長は、ダン・モリスと名乗って次のような証言をしています。
ダン・モリスは、ロズウェル事件の際に収容された地球外生物(EBE)が、ロスアラモス科学研究所に収容されたこと、そして死亡するまでの期間に自分の故郷の惑星に「自分が病気であること、自分を引き取りに来てほしいこと」など様々なメッセージを送信したこと、のちにそれに応じて飛来したEBEに遺体の引き渡しが行われたことなどを、2000年9月に収録したビデオの中で証言していました。
「プロジェクト・セルポ」に関する情報が内部告発者とされる人物によりインターネット上に現れたのは、2005年11月でした。クリントン大統領が1995年4月に署名した大統領令12958により、2000年4月以降、25年を経過した国家安全保障に関わる文書を自動的に機密解除することが可能となったため、内部告発者は、1980年に作成された「プロジェクト・セルポ」の報告書の内容を2005年になってから公開に踏み切ったのかもしれません。
長くなるのでこれぐらいにしておきますが、人類とETとの交換プログラムが実施されたのではないかと疑わせる「情況証拠」はこのほかいくつかあります。もちろん「プロジェクト・セルポ」が実際に行われたと断定することはできませんが、個人的にはあってもおかしくはないと感じています。
これには、UFO映像(画像)の信ぴょう性を評価するのとは別の基準が求められるからです。例えば、ヒル夫妻のアブダクション体験などについても、私はあってもおかしくはないと考えています。
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2024.10.02 20:00心霊ウクライナ侵攻が生んだ「UFOタブー」とは!? 人類と宇宙人の“交換留学”まで岩手大名誉教授が暴露!(インタビュー)のページです。タブー、プロジェクト・セルポ、ウクライナ侵攻、原澤亮、岩手大学などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで