著名人のデスマスク8選! 歴史的な人物から殺人鬼まで
石膏や蝋で死者の顔を型取った「デスマスク」。その歴史は古代ギリシアまで遡り、17世紀には告別式にデスマスクを飾ることが習慣化していた。まだ写真技術が発達していない時代、石膏や蝋で作ることができるデスマスクは、当人の面影を実に生々しく残した遺品となった。また、歴史的人物の場合は現代のわれわれにとっても重要な資料となる。今回はその中から8人の人物のデスマスクをウェブサイト「Ancient Origin」の記事から紹介しよう。
■デスマスク1
ウィリアム・シェイクスピア
ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)のデスマスク。
エリザベス朝時代のイギリス・ルネサンス演劇を代表するシェイクスピアは、彼の戯曲とソネットで知られており、英語圏の最も有名な劇作家である。
シェイクスピアは1616年4月23日に52歳で死去した。彼の死は遺言書に署名してから1カ月以内のことであった。実はシェイクスピアの誕生日も4月23日であるという伝承があり、もしこれが正しければ、彼の死亡日は誕生日と同じ日だったということになる。
遺言書は彼自身が「完璧な健康状態」にあると説明することから始まっており、健康であった彼がどのように死んだかを説明する史料はないが、腐ったニシンから伝染した感染症であるともいわれている。
■デスマスク2
ナポレオン・ボナパルト
ナポレオン・ボナパルトのデスマスク。
革命家で、フランス第一帝政の皇帝だったナポレオン・ボナパルト。フランス革命で頭角をあらわし軍師として連戦連勝を収め、フランス皇帝ナポレオン1世として君臨した。彼は1804年から1814年までと1815年にフランスを統治した。彼は大胆な遠征を指揮し、ヨーロッパを征服するという目標に近づいた。しかし、ワーテルローの戦いでイギリス・プロイセン連合軍に敗北し、ナポレオンはイギリス軍に降伏、セントヘレナ島に送られた。実質的な監禁生活で心身ともに疲弊したナポレオンは同島で死去した。その死因については、ヒ素中毒説、胃がん説、医療ミス説など諸説入り乱れている。最期の言葉は「フランス!…軍隊!…軍隊のかしらに…ジョゼフィーヌ!」だったとされる。
ナポレオンのデスマスクは、1821年5月7日、セントヘレナ島でナポレオンが亡くなった2日後に、イギリスの第66歩兵連隊の外科医、フランシス・バートンによって作られた。
ナポレオンのブロンズデスマスク。
■デスマスク3
オリバー・クロムウェル
死体が防腐処理された後に作られたオリバー・クロムウェルのデスマスクのワックスコピー。
オリバー・クロムウェル(1599-1658)は悪名高いイギリスの司令官および政治家であり、イギリス史上最も重要な政治家の1人と見なされている。
彼は軍隊を利用して最初に政治権力を掌握し政治的権力を維持した。さらに1649年のアイルランド戦役の残虐行為と暴力により、イギリスとアイルランドの両方で物議を醸す人物であり続けている。
クロムウェルは1658年9月3日にマラリアと腎臓結石に関連する合併症、もしくはインフルエンザによって59歳で亡くなった。反逆者として、その遺体は死後に墓から掘り起こされ、タイバーン刑場で絞首刑の後斬首された。切り取られた首はウェストミンスター・ホールの屋根に掲げられて四半世紀も晒された後、最終的に母校であるケンブリッジ大学のシドニー・サセックス・カレッジに葬られた。
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2024.10.02 20:00心霊著名人のデスマスク8選! 歴史的な人物から殺人鬼までのページです。ニュートン、国王、政治家、ナポレオン、科学者、作曲家などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで