海外メディアが「世界の七大剣豪」を発表! 日本人から2人が選出される

 決闘と戦争がまだアナログであった時代、長きにわたって洗練されたメジャーな戦闘技術であったのが剣術だ。オルタナティブメディア「Ancient Origins」では戦いの歴史に燦然と輝く史上最高の7人の剣士を紹介している。

1.源義経:武士の真髄

「牛若丸」としても知られる源義経は武将一族の子息として幼い頃から孫子の『兵法』などを意欲的に学ぶ一方で、剣術修行にも励み急速に腕を上げた。

 若い時の武者修行の旅の道中、京都・五条大橋で出くわしたのが伝説の僧衆・弁慶であった。身の丈2メートルの容貌魁偉な弁慶は出会った武士にあたりかまわず決闘を挑み、この時点ですでに200人を斬り殺していたといわれていて、当然ながらこの時も義経に斬りかかった。

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画像は「Wikipedia」より

 義経は弁慶の薙刀(なぎなた)を華麗にかわして橋の欄干に飛び乗り、力まかせに大薙刀を振り回す弁慶を翻弄して戦意を喪失させてしまうのだった。完敗を認めた弁慶は義経に仕え、その右腕となって源氏の天下統一への戦いで活躍することになる。

 戦での功績が認められ大きく出世した義経だったが、後に兄・頼朝の反感を買って下野し、一説では自害したといわれているが、日本を離れて海外で生涯を送ったという説もあれば、彼こそが後のチンギスハン(ジンギスカン)であったのだという説もある。

2.フィオレ・ディ・リベリ:中世のフェンシングの達人

 14世紀後期のイタリアの有名剣士であり、現存する最も古いフェンシング指南書の1つ『Flower of Battle』の著者でもあるのがフィオレ・ディ・リベリである。中世ヨーロッパがこれまでに輩出した最高の剣士およびフェンシングマスターの1人として高く評価されている。

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画像は「Wikimedia Commons」より

 西暦1350年頃にイタリアの小さな町で生まれたリベリは幼い頃から神聖ローマ帝国の多くのドイツ人やイタリア人の指導者の下でフェンシングを学び、すぐに頭角をあらわした。

 リベリは当時の最高のフェンシングマスターと戦った5回の決闘で特に有名となり、多くの王家にフェンシングの技術を教えた。

3.ドナルド・マクベイン: スコットランド最強剣士

 1664年にスコットランドのインバネスで生まれたといわれているドナルド・マクベインは、すぐに“キレる”という性格上の問題があったといわれ、馴染めなかった軍隊を離れ、自分の剣術を徹底的に磨き上げることに専念したのだった。

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 片膝をつき、強力なアッパーカットで剣を上に突き上げる「イノシシ突き」などのパワースタイルの戦法でめきめきと頭角をあらわしたマクベインは、アイルランドに移りフェンシング道場を開き、4つのライバルの道場のマスターを打ち負かして評判を確かなものにした。その後も100回以上のデュエル(決闘)を行い一度も負けることはなかったといわれている。

4.ジョセフ・ジョゼフ・ブローニュ:決闘の紳士

 18世紀ヨーロッパで最高の剣闘士の1人として知られるブローニュは、カリブ海のグアドループ島の農園領主とアフリカ人労働者との間の非嫡出子として生まれ、幼い頃にフランスに送られて紳士教育を受けた。

 バイオリン演奏に習熟する一方、フェンシングにも熱をあげて有名なフェンシングの達人から訓練を受け、10代の頃にはすでに熟達した剣士になっていた。

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  彼の出自について人種差別的な発言をした剣術マスターを完膚なきまでに打ちのめした後、ヨーロッパの王族が参加する多くの試合に出場し、すぐにヨーロッパで最も有名な剣闘士の1人になった。

 フランス革命の間には彼は共和国のために真っ黒な戦闘服の軍団を指揮し、その人気と技術に敬意を表して「セントジョージ軍団」と呼ばれた。

5.塚原卜伝:流浪の剣士

 塚原卜伝は典型的な放浪の剣士である。1488年頃に生まれた卜伝は、17歳で家を出て、多くの有名な武士と真剣で決闘し一度も負けることなく勝ち続け、数十回の決闘と戦の過程で、少なくとも200人の武士を殺した。そして「剣聖」と呼ばれ多くの信奉者を得た。

 しかし齢を重ねるにつれて卜伝から功名心がなくなり一種の平和主義者になったといわれている。そして戦い方も変化し、可能な限り攻撃しないことに徹し「戦わずして勝つ」ことを最優先に掲げたのだった。

 あるエピソードによると、老境に入っていた卜伝のもとにやってきた傲慢な若い男が決闘を申し出たという。卜伝は同意し、男をボートに乗せて決闘の場となる島に漕ぎ出したのだった。

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 島に着くと、はやる気持ちを抑えきれない男はすぐにボートを下りて先に進み決闘の準備をはじめたのだが、卜伝はボートを下りずに再び漕ぎはじめて島を去っていったのだった。これもまた「戦わずして勝つ」ことであったのだ。

6.ジュリー・ドービニー:女剣闘士

 ジュリー・ドービニーは、17世紀にルイ14世の宮廷貴族の娘としてフランスで生まれた。優れたダンスと歌唱で社交界で有名になる一方で、並外れた剣の使い手としても注目を集めたのである。

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 10代の反抗期に家出をしたドービニーは、フェンシングの達人と恋仲になって剣術を教わりさらに腕に磨きをかけつつ、居酒屋で見世物の剣術パフォーマンスを披瀝しチップを得て生計を立てていた。

 彼女の最も有名な事件は1695年の仮面舞踏会でのことである。実はバイセクシャルであったドービニーは出席していたカップルの女性にキスをして婚約者の男性を怒らせたのだ。

 激怒した男から決闘を申し込まれたドービニーは難なく打ち負かし、なんと舞踏会の間に同様に計3人もの男が血祭りにあげられたのである。

7.ジャック・チャーチル:銃を拒否した剣豪

 第二次世界大戦中の英国の将校としての任期中、ジャック・チャーチルは銃を携帯することを拒否し、代わりにスコットランドの長剣、弓矢、そしてバグパイプの装備を選択した。

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 チャーチルは周囲から“マッド ジャック”と呼ばれ、彼のモットーは「士官たる者、剣を持たずして戦場に赴くべきではない」であった。

 1939年の世界アーチェリー選手権のイギリス代表であった彼は、1940年にフランスの村で弓矢でドイツ兵を倒し、戦争における長弓による最後の殺害事例であるといわれている。

 剣術スキルについての詳しい記録は残されていないが、機関銃と戦車の砲火を生き延びたという事実が多くを物語っていることになる。

 今日でもボクシング、柔道、総合格闘技などは盛んに行われているが、フェンシングや剣道などの剣術はマイナーなスポーツへとなりつつあるようにも見える。人類の文化としてこれらの剣術を今後も継承していくのかどうか、大きな曲がり角に来ているのかもしれない。

参考:「Ancient Origins」ほか

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文=仲田しんじ

場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。
興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
ツイッター @nakata66shinji

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