人間が犯してはならないタブー……古くから人肉食を実践してきた8つの古代文化【後編】
人間が同じ人間の肉を食べる「カニバリズム」は野蛮さや蒙昧さの表出であるかのようにもイメージされるが、実際のところカニバリズムは世界中の広い地域で行われてきた長い歴史を持っている。古来より人肉食を実践してきた古代文化をフィーチャーする記事の後編では、カーニバルでの人肉食から殺した敵兵の遺体を食べる習俗など4つの伝統的な人肉食文化を紹介したい。
■シシメ族:メキシコ
シシメ族(Xiximes)は、現在のメキシコ北部の一部に住んでいた先住民族である。彼らは人食いを行っていたことが以前から長い間噂されていたのが、考古学者がそれを証明する有力な証拠を発見したのは近年になってからのことだ。
歴史家は人肉食はシシメ族の複雑な宗教的および文化的信念と深く関係していると確信しており、特に毎年開催される収穫祭のような祝祭と結びついていたことが示唆されている。
トウモロコシの収穫が終わるたびに、村の長老たちは敵対する村から村民たちを狩るために戦士を派遣した。彼らは野原で単独で働く丸腰の農民をターゲットにすることが多かったが、時には他の村の戦士たちと激しい戦闘を繰り広げることもあった。
敵兵を殺した後、彼らはその遺体を村に持ち帰った。遺体が大きすぎて運べない場合は、頭と手だけを持ち帰ることもあったという。持ち帰った遺体は解体され大きな鍋で肉が骨から落ちるまで加熱調理され、その後、肉を豆やトウモロコシと一緒に再度調理して、一種のシチューやスープを作った。
こうして出来た人肉のスープは、夜を徹して行われる祭で消費された。残った骨は来期の作物の植え付けの季節まで保管され、作物の成長を助けてくれる精霊への贈り物として小屋の木や屋根に吊るされた。
この慣習はスペインの征服者が襲来するまで続いた。シシメ族は植民者と戦ったが、最終的には征服されてキリスト教に改宗した。宣教師たちは人食いの話をヨーロッパに報告したが、その話は誇張された“眉唾もの”の話として長く信じられていたという経緯もある。
興味深いことに最近の研究でシシメ族は人肉食行為において外国人嫌悪の要素があることが判明している。つまり彼らは同じエリアの村出身の敵兵だけを食べ、他の先住民部族やヨーロッパからの侵略者などの外国人の遺体を食べることは決してなかったのだ。ひょっとすると人肉であるからこそ好き嫌いが激しくなるのかもしれず興味深い。
■マグダレニア人:北西ヨーロッパ
約1万7000年前から1万2000年前の後期旧石器時代にかけて北西ヨーロッパで栄えていたマグダレニア人(Magdalenians)は先史時代の狩猟採集民である。彼らの少なくとも一部が人食いを行っていたことはわかっているのだが、その実態と理由については考古学者の間で議論の対象となっている。
この問題については2つの見方があり、人肉食はサバイバルの上で必然的であったのか、あるいは葬儀の儀式であり祖先崇拝の一形態であったかのどちらかである。
マグダレニア人が互いに食べ合っていた最良の証拠は、イギリスのガフ洞窟(Gough’s Cave)から出土した人骨の破片で、骨には共食いを示す特徴的な噛み跡が残されている。
骨を発見した研究チームは、噛み跡は葬儀の証拠であり、人肉の消費が象徴的または儀式的な意味を持っていた可能性があり、潜在的に故人を讃え、その力や本質を共同体に組み入れ、あるいは奉仕する先祖崇拝の一形態である可能性があると理論づけた。
しかしこの理論に誰もが納得しているわけではなく、マグダレニア人は狩猟採集民であり、別の観点からは、過酷な環境条件により食料が不足したとき、彼らは人肉食に走ったという説もある。この場合、それは死者を讃えることとは何の関係もなく、単に生き残るための最後の手段であった。
証拠は限られており、その中に決定的なものはないため議論はまだしばらく続きそうだ。理由が何であれマグダレニア人の間に人食いの習慣が実際に存在していたのだとすれば、古代文化の複雑さと過酷で容赦のない環境での生存戦略において彼らが直面していた課題について貴重な洞察を提供することになる。
■ワリ族:アマゾン
アマゾンの熱帯雨林に住むワリ族(wari)は、特殊な種類の「二重共食い(dual cannibalism)」を行うという点で独特で、彼らは歴史的に愛する人も敵も同じように食べてきただけでなく、その理由も大きく異なっていた。
彼らは一種の葬儀として自分の愛する故人を食べていた。彼らにとって人肉食は故人を悼み、敬意を払い、敬意を払うことに根ざした儀式的な行為であり、亡くなった家族や友人の遺体を食べることで、彼らの魂とのつながりを維持し、幸福を確保できると信じられていたのだ。この形式の人肉食行為は愛と敬意の体現であった。
その一方で、ワリ族もまた戦争の敵兵の遺体を食べた。この文脈では、人食い行為は強い憎しみと怒りによって引き起こされ、敵の戦死者を食べることは敗北した敵に対する優位性を表現する方法であった。
敵兵の肉を食べることは、これらの敵に対する根深い敵意と怒りを象徴し、それは究極の屈辱行為と考えられており、敵の力や本質を吸収する意味合いもあった。しかしこのワリ族の人食い習慣も、部外者、特にキリスト教宣教師の到来とともに消えていくことになる。
■フィジーの食人族:フィジー
今日のフィジーは人気の観光地であり、活気に満ちた文化、素晴らしい風景、温かいおもてなしで知られている。しかし19世紀半ばまで、フィジーの一部の部族は文化的および宗教的習慣の一環として人肉食を行っていた。この人食い行為は、彼らの社会構造、戦争、信念体系と深く結びついていた。
フィジーの一部の部族では、打ち負かした敵の肉を食べることが強さと権力を得る方法とみなされていた。人食い行為は、戦争が繰り返し現実となっていた地域において敵の士気を低下させ、支配を主張するのに一役買った。特定の部族や氏族は他の部族よりもこの習慣が色濃く、人食い行為には戦闘後に行われる儀式的な儀式が含まれることがあった。
ただしフィジーのすべての部族が人肉食を行っていたわけではなく、行っていた部族であってもそれが日常的なことであったわけではない。19世紀にヨーロッパの宣教師と帝国列強の到来は、フィジーにおける人食い行為の衰退に重要な役割を果たし、西洋の価値観とキリスト教の影響により、この習慣は徐々に放棄されていった。
■時代を超えたカニバリズム
今日「カニバリズム」を耳目にすれば恐ろしいホラームービーや、猟奇殺人などを連想する人も多いかもしれないが、人肉食行為は多くの古代文化の重要な部分でもあった。精神的な信念、生存、戦争、または激しい憎悪の表現に根ざしているかどうかにかかわらず、人肉食行為からは人類の過去のさまざまなのっぴきならない一面を垣間見ることができる。
古代のカニバリズム文化を紹介した「Ancient Origins」の記事によればこれらの“蛮習”をあまりにも厳しく断罪しない姿勢も重要であるという。
18世紀になってもヨーロッパ人が“ミイラパウダー”を消費したり、人間の血が原材料の医薬品を服用していたことを思い出せば、人肉食に対する西洋人の見方は信じられないほど偽善的に感じられるかもしれない。またカトリックの宣教師がこれらの部族に人食い行為をやめさせ、その後にキリスト教のミサや聖体、“実体変化”の考えを彼らに紹介した際には、そこにカニバリズムのメタファーを感じ取った彼らはかなり混乱したに違いないという。
現代人にとってあり得ないタブーであり、何かと物騒でスキャンダラスなカニバリズムだが、その歴史についてはいったんは心を落ち着けて考察したいものだ。
参考:「Ancient Origins」ほか
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