>  > 【深読み民俗学】「姥捨て山」伝説に隠された、予言と残酷風習!!

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 姥捨て山伝説は、単なる童話ではなく、実在した話がモデルになっているといわれている。そう、戦国時代、瞬く間に信州を制圧した、武田信玄没後の武田家滅亡を暗示していたのだ――。


■人を大切にしない合理主義者「武田氏」の行く末を暗示

【姥捨て山伝説:あらすじ】

 姥捨て山伝説とは、ある国の殿様が、年老いて働けなくなった者を不要として、山に遺棄するようにというお触れを出したことから始まる。しかしある家では、山に老親を遺棄することができず、密かに家の床下にかくまうことにした。そしてしばらくの後、隣国からいくつかの難題が出され、それらの難題を老親の知恵によって見事に解き、隣国を退散。老人も知恵があり粗末にできぬことを知った殿様は、お触れを撤回し、老人を大切にするようになったという話だ。

 この物語のように、自分の考え方でお触れを出し、それを領民に実行させ、そのお触れに従わなければ罰することができたのは、日本史の中で、戦国時代しかあり得ないはずだ。なぜなら、戦国時代以外では、大名は鎌倉幕府や江戸幕府によってしっかりと管理されていたために、領民に対して勝手なお触れを出すことはできなかったからである。

 また、姥捨て山伝説の中に出てくる殿様は「老人を大切にしない、徹底したコスト管理による合理主義者」だ。そう、長幼の序やそのほかの秩序を無視し、徹底した実力主義、合理主義で物事を判断しなければ生き残っていけなかったのも戦国時代。その戦国時代に、信州、現在の長野県を支配していたのは、ほかならぬ武田信玄である。武田信玄は、名君として知られているが、しかし、その影では陰謀や合理化によって人々を傷つけたのである。もちろん、そのようにしなければ生きてゆけなかった時代。しかし、そのようなことがわかっていても、「うらみ」が募るのが人間というものである。

 姥捨て山伝説が、戦国時代に領国争いに明け暮れた合理主義者、「武田氏」の行く末を暗示していたといっても過言ではなかろう。

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コメント

6:匿名2016年9月30日 01:39 | 返信

つまり、まともな裏取りも民俗学知識もなく、想像だけで勝手にクソガキが書いた記事で、それをチェックも無く載せちゃうサイトなのかな

5:匿名2016年9月14日 00:13 | 返信

そもそも父の信虎自身も信州に侵攻しているし、板垣信方も処刑されたのではなく信州侵攻戦での戦死。武田信玄自体についても間違いだらけの記事。訂正した方がよいのでは。

4:匿名2016年7月 4日 17:41 | 返信

姥捨山説話の原型は平安時代末には出来てるから…

3:匿名2016年2月 2日 19:02 | 返信

記憶薄いが、武田信玄って死ぬときに『自分の死は隠せ』言っていたような…。
それであれば、息子が信玄の兜持ち出すのも、信玄ここにありって事で理由があるようにも思える。
それと、姥捨て山と武田家滅亡について、関係が無い様な気がします。

2:匿名2015年12月 7日 10:59 | 返信

こんな知識レベルが低い記事、久しぶりに見た。
上の方がおっしゃってるようにもっと勉強したらどうですか?

1:伊達藤次郎正宗2015年10月 2日 15:54 | 返信

この記事を書かれた宇田川敬介さまに申しあげます。貴方様はもう少し日本の歴史を調べてから、この記事を書くべきでした。文章の出だしの「戦国時代以外では、大名は鎌倉幕府や江戸幕府によってしっかりと管理~」からして勉強不足です。江戸時代にしても、全国の大名は国主等と呼ばれ、現代で言う所の司法行政立法の3権も、それぞれの国で独自に存在してました。江戸時代で大名等への規制がされたのは、武家諸法度や公家諸法度等の法ですが、これらは各国の三権についての共通見解を示したものではありません。姥捨て山の記事自体にしても、起源はもっと過去から存在していますし、そもそも姥捨て山で有名になった1つに柳田國男"の「遠野物語」があります。遠野ではデンデラ野と言われる場所がまさにそれです。遠野物語読まれなかったのですか?そもそも姥捨て山の発想は飢饉の時の口減らし。東北地方が自ずとヤマセなどの冷害で米の不作飢饉になる時に頻繁に行われていたのが有名なのです。

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