【深読み民俗学】「姥捨て山」伝説に隠された、予言と残酷風習とは?
■領国争いにさらされた「姥捨て山」
「姥捨て山」とは、現在の長野県千曲市東筑摩郡にある「冠着山(かむりきやま)」という山と、それにつらなる山々だといわれている。これらは武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの行われた、川中島の合戦に隣接する山である。現在の松居城、当時の海津城から眺められる山で、当時の川中島合戦画屏風にも書かれている山だ。
この川中島の合戦は、武田信玄の信州攻略に一定の歯止めになったといわれている。信玄は、信州攻略の際に、反対した板垣信方や自分の父武田信虎などを放逐または死刑にし、神官からあがった諏訪氏を攻略し、その婦人を略奪した。信州の人間からすると、武田信玄は、「名君」とは程遠い人物ということがいえよう。
上杉謙信との五回にわたる川中島の合戦では、善光寺平と呼ばれる肥沃な田園地帯を信玄が占領したものの、一方で山本勘助や自分の弟信繁などを失う、激戦となった。そして信玄は、自らを神格化し、三河から京都に向けて進軍するも、三河国野田城の攻略の最中に発した病に没してしまう。信玄のあとを継いだ勝頼は、信玄と同じように自らを神格化し、そして信玄の愛用していた兜を出して重臣を黙らせて、長篠合戦で突撃を繰り返し、重臣の多くを死に至らしめ、武田氏滅亡へと突き進んでしまうこととなった。
川中島から武田氏の滅亡までを簡単に追ってみると、武田氏の滅亡に向けた節目では、「親」「老人」「重臣」の意見や忠告を無視する殿様の姿が目立つ。諏訪氏への謀略、そして川中島合戦、野田城での信玄の病気、そして長篠合戦での無意味な突撃。どのような戦況化であっても、「親」「老人」「重臣」を黙殺していたのが武田信玄、勝頼なのだ。
川中島の人々の中には、名君武田に服した人も少なくないが、一方で武田氏に対してあまり快く思っていない人も少なくなかった。川中島の北の端にあるのが現在の善光寺であり、その名刹の僧兵は上杉側についていたために、川中島は、まさに武田と上杉の国境であり、武田領の中で武田氏に批判的な場所であったことは想像に難くない。「武田はいつか老人を大事にしなかったことで大きく躓く」という言い方をしながら、一方で武田が復活し、川中島であっても、名君の内政という恩恵を受けたいという思惑もあったのだろう。
そのような領国争いの絶えない川中島の一角に、「姥捨て山」があったのだ。
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