外交官が語ったイスラム過激派「ボコ・ハラム」の実態!! なぜ彼らは残虐事件を繰り返すのか?
4月14日、ナイジェリア北部ボルノ州で、総勢200人以上の女子学生がイスラム原理主義組織ボコ・ハラムに誘拐されるという衝撃的な事件が発生した。この事件は、ナイジェリア政府とボコ・ハラムとの間で激しい抗争が継続していることを、世界に改めて認識させた。
さて、ボコ・ハラムとは通称であり、この組織の正式名称は「宣教とジハードのためのスンニー派集団」である。諸外国では「ボコ・ハラム」を「西洋式教育は罪」と訳しているが、原語のハウサ語で「ボコ」は不正を意味し、本来「西洋教育」を指す言葉ではない。
ボコ・ハラムについては他にも様々な情報が錯綜しているが、その実態を正確に把握するべく、今回は旧知の外交官に聞いた話をお届けしよう。
■ボコ・ハラム誕生と過激化の背景
中東やアフリカに詳しいこの外交官は、次のように語り始めた。
「どこの国でも、イスラム原理主義勢力が台頭する背景には、貧困や失業といった社会問題があります。そうした状況では、『現政権がイスラム教の正しい教えに従っていないため、さまざまな矛盾が生じている』という原理主義勢力の訴えが、非常に魅力的なものと映るのでしょう」
2002年に設立されたボコ・ハラムも例外ではなく、ナイジェリア北部の貧困層を基盤に勢力を拡大してきた。設立者モハメド・ユスフは、地球が球体であることやダーウィンの進化論などもイスラムの教えに反するものとして否定。かなり過激な主張を行ってきた。しかし、その極端な主張とは対照的に、設立後数年間は、比較的穏やかな活動を続けてきたという。
「ボコ・ハラムが過激化したのは、政府に弾圧されたことが大きいでしょう。エジプトでも、本来平和的な活動を行ってきたムスリム同胞団が、政府の弾圧で過激化してテロに走り、より一層過激なジハード団やイスラム団が誕生したという先例があります」(外交官)
■新しい指導者、そしてテロ集団への変貌
実際、ボコ・ハラムを危険視したナイジェリア政府は、2009年にモハメド・ユスフを拘束している。これに対し支持者たちが一斉に蜂起し、双方で700人もの死者を出す大規模な衝突が起きた。モハメド・ユスフは拘束直後、正式な裁判もなく処刑される。そして他の指導者たちの多くも、その時の衝突で死亡したと考えられていた。
「ところが2010年になって、死亡したと思われていた幹部、アブバカル・シェカウが姿を見せ、新しい指導者に就任しました。シェカウは、ナイジェリアでは少数民族であるカヌリ族出身ですが、カヌリ族は近隣のチャドやカメルーンにも住んでいます。このことが、ボコ・ハラムの活動を国境を越えた規模にまで拡大させているのです」(同上)
復讐に燃えるシェカウは、新指導者に就任直後の2010年9月、バウチ州にある監獄を襲撃し、囚人700人以上を脱獄させている。それ以後、ボコ・ハラムは数々のテロ事件を継続し、今年4月に多数の女子学生を誘拐するにまで至ったというわけだ。
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