舩坂弘の最強伝説!!太平洋戦争で死亡3日後に蘇生した不死身の日本兵 

■どんな傷を負っても次の日には回復していた、まさに不死身

 軍医も匙を投げるほどの重傷を負ってもなお、屈しようとしない舩坂。負傷した足を包帯代わりの日章旗で縛り、なにくそと夜通し這うことで洞窟の味方陣地に帰り着く。そして、翌日には左足を引きずりながらも歩けるまでに回復していたという。

 繰り返すが、砲弾によって負傷し、なおかつ物資のない状況である。舩坂は戦後「生まれつき傷が治りやすい体質であったことに助けられたようだ」と述べているが、一体どんな体をしていたのか筆者には想像もつかない。

 絶望的境地に陥ってもあきらめず、突撃していくのである。自著『英霊の絶叫 ― 玉砕島アンガウル戦記』(光人社NF文庫)によれば、「絶望的な戦況にあってなお、拳銃の3連射で3人の米兵を倒したり、米兵から鹵獲した短機関銃で3人を 1度に斃し、左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺殺し、短機関銃を手にしていたもう1人に投げて顎部に突き刺して殺すなど、鬼神の如く奮戦を続けていた。 実際、その姿を見た部隊員たちから、『不死身の分隊長』『鬼の分隊長』と形容する声が聞かれるほどであった」と回顧している。


■傷口から大量の蛆、そこに銃弾埋め込む まだ死なせてもらえないのか!!

 いくら不死身の分隊長とはいえ、補給も食料もない状態で満足な治療を受けられず、傷は化膿し、大量の蛆(ウジ)が湧いた。鬼の舩坂は、伝えられるところによると、近くで死んでいた仲間が身につけていた銃弾を化膿した部分に埋め、自ら点火させ炎症が広がるのを防いだという。

 長期に及ぶゲリラ戦も虚しく、圧倒的な戦力の差に、徐々に日本軍は追い込まれていった。味方陣地である洞窟内は、自決の手榴弾を求める重傷者の呻き声が響きわたり、生き地獄の様相を呈していた。舩坂も敵の銃弾が腹部を貫通し、もはや這うことしかできなくなった。いったんは引いても容赦なく湧いてくる蛆に、とうとう「蛆に食われて死ぬくらいなら、もはやこれまで」と、自決を決意するのであった。

 この時舩坂は極度の栄養失調と失血で、両目もほとんど見えなくなっていた。まさに死と隣り合わせの状態である。自決用の手榴弾を置いて、舩坂は遺書を書くのであった。

「若年で死ぬのは、親孝行できず残念です。靖国に行ってご両親の大恩に報います。国家危急存亡のときに、皇天皇土に敵を近づけまいと奮戦したのですが、すでに満身創痍となりました。天命を待たず、敵を目前にして戦死するのはくやしいけれど、すでに数百の敵を倒したので、自分は満足しています。七たび生まれ変わって、国難を救わんと念願し、いま、従容として自決します。思い残すことはありません。 陸軍軍曹 舩坂弘」

 ところが手榴弾のピンをはずすも不発。「なぜ死ねないのか、まだ死なせてもらえないのか!!」と、死ねなかったことに絶望にした舩坂は、「一矢報いてやる!」と米軍司令部に単身乗り込むことを決意する。

英霊の絶叫―玉砕島アンガウル戦記 (光人社NF文庫)

読めば不死身の漢(おとこ)になれるかも?

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