図らずも、泣きそうになる ― 若き義足の美術家・片山真理が自らを葬る作品展「you’re mine」が与える感動

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■作品の中の私は素の私じゃない。だから…

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 片山の作品は一見、自然な設定で作られているように思われがちだ。そのことが、作品の評価にも結びついている。しかし、1つ1つの作品は、実はかなり緻密に作り込まれている。それが原因で、彼女は、作家としてのアイデンティを揺るがされるほどの葛藤を抱えることになる。

「見てくださる皆さんは、私がありのままの姿を見せている、と思うからこそ『いいね』『素敵だね』って言ってくれる。だけど、実際に私が提示している作品の写真は私が作った別の像。だから素の私だとは思えないんですよ。いつもこんな綺麗な格好はしてないし、もっと汚いこともひどいこともするし、家にいるときは大体服着てないし(笑)。だから、このままこういう作品を撮り続けていくのが楽しいとは思えなかったんです。嘘を付いているみたいで。その頃ちょうど、音楽活動とか講演活動とか、生身の自分を外に出していく活動が増えてきた時期で、作品として作り込んだ自分と、生身の自分とが分かれてワケがわからなくなっちゃった。セルフポートレートを撮るってどういうことなのか、悩んじゃったんですね。写真を撮るのにも躊躇してしまって」(片山)

 その葛藤から生まれたのが、今回の展示の核となる「you’re mine」という作品だ。2点のポートレートと、コピックで片山自身の型取りをし、継ぎ接ぎした羊の皮を貼り付け顔の表面に楕円形の鏡を装着した石膏像、そして、対面の壁に設置された畳大の鏡で構成されたインスタレーションである。

 作品についての解説は、ここでは控えたい。読者の皆さんに、実際に会場に足を運んでその場所に身を置いていただきたいからだ。その代わりと言ってはなんだが、筆者の率直な感想を。

 図らずも泣きそうになった。その後、目の前が明るく開けたようなカタルシスを不思議と感じることができた。あくまで筆者個人の印象だけれど、女性、特に普段の生活のなかで確たる身の置き所を感じられず、漠然とした不安、居心地の悪さを感じている若い女性こそが、片山の作品からなにかを敏感に感じ取ることができるのではないかな。

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