UFOの典型をつくった男ジョージ・アダムスキー ~元祖コンタクティーの真実~
■元祖・コンタクティーの経歴
ジョージ・アダムスキー(1891~1965)は、アメリカのコンタクティーである。コンタクティーとは、地球以外の天体からUFOに乗ってやってきた異星人と、友好的な接触(コンタクト)をした人物のことで、1950年代のアメリカでは、自称コンタクティーが数多く出現した。その中でもアダムスキーは、初めに自分の体験を公表した元祖・コンタクティーとして知られる。
アダムスキー本人の主張によれば、51年3月5日に葉巻型母船の撮影に成功、そして52年11月20日、カリフォルニア州モハーベ砂漠で金星から来たスペースブラザーズに出会ったという。このときの金星人は一般に「オーソン」と呼ばれているが、これはアダムスキーがつけた仮の名であり、本名ではない。その後も彼は友好的な異星人スペースブラザーズとのコンタクトを続け、54年8月にはUFOに同乗し、月の裏側を訪れたと主張している。さらに、62年3月には土星を訪れたとさえ述べている。
こうしたアダムスキーの「体験談」は、世界的に大きな反響を呼び、彼は各地で自らの体験談を講演してまわり、多くの信奉者を集めた。59年1月から6月にかけては、世界各国の支援者の援助を得てニュージーランド、オーストラリア、イギリス、オランダ、スイスなどを訪問し、オランダではユリアナ女王とも個人的に会見した。この時期、アダムスキーと文通していた日本の久保田八郎氏のもとにも、日本訪問の打診があったが、必要な資金を集めることができずに断念したという。
■主張には数々の疑問も……
しかし、アダムスキーの主張の中には、「月に空気があり、太陽系のすべての惑星に地球人と同じような人類が居住している」とか、「太陽は実は冷たい」など、その後の惑星探査の結果とは相容れないものも多い。スペースブラザーズから聞いたという彼の主張は、アダムスキー本人が1949年に書いたSF小説に、すでに同じような内容が提示されている。
また、彼自身が52年12月13日に撮影し、「空飛ぶ円盤」のイメージを決定づけた、いわゆるアダムスキー型UFOも、その後のコンピュータ分析によって釣り糸のようなものが確認されており、模型を撮影したものであることは明らかである。このUFOなるものが下手な細工ものであることは、上部のドーム中心から、下部にある円錐の頂点まで直線を引いてみるとすぐに分かる。直線が理想的な垂直線から数度ずれてしまうのだ。アダムスキー信奉者は、UFOのフォースフィールド(力場)で変形して見えるのだと主張するが、これは恐らく、それぞれ別に制作された部品をつなぎ合わせたものなのだろう。
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