SEALDsの神格化を不安視する小林よしのり! 『脱正義論』から読み解く「正義の運動」とは?
■正義の運動とはなんだろう?
正義の運動とは何か? 目的が達成された運動はどのように収束すべきか? 組織、集団に取り込まれない自立した個の確立、など『脱正義論』で問われる内容は、現在にも通ずるものがある。刊行からおよそ20年が経った本書をあらためて読みといてみたい。
・薬害エイズ事件
薬害エイズ事件とは、1980年代に、血友病患者に投与された血液凝固因子製剤(非加熱製剤)に、ウイルスが混入しており、多数のHIV感染者を出した事件である。日本で初めてエイズ患者が確認されるのは1985年。HIV感染は性交渉により起こると喧伝されたにもかかわらず、非加熱製剤の危険性を知りながら、血友病患者に投与したとなれば、国家による殺人行為が行われたも同然であろう。
1989年から薬害エイズの被害者らを原告として、裁判が民事・刑事双方で開始される。1995年10月には民事裁判において、東京地裁・大阪地裁は、原告の訴えを認め、厚生省に和解案を提示するも、一時金支給などの救済責任は認めたものの、加害責任を否定し続けた。しかし、96年1月に、当時、新党さきがけにいた菅直人が厚生大臣に就任すると、これまで見つからないとされてきた、非加熱製剤の危険性を認識する当時の内部文章が簡単に発見されるという“お役所仕事ぶり”が露呈。その後、96年3月には厚生省が責任を認める和解が成立した。
小林は1994年から雑誌に連載されていた『ゴーマニズム宣言』において複数回にわたり、薬害エイズ事件を取り上げていた。同年末には、原告の子供たちの頼みを受け「HIV訴訟を支える会」の代表に就任する。子供たちの中にはのちに参議院議員となる川田龍平の姿もあった。裁判は95年3月に結審し、その後は厚生省との和解交渉に入る。小林はすぐにでも薬害エイズ事件を取り上げたかっただろうが、95年に入ると、1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が発生し、世間の報道はオウム一色となる。小林も坂本弁護士一家拉致事件の犯人をオウムと推察する漫画を書いたことから、オウムから裁判で訴えられる。同時に、オウムの暗殺部隊に命を狙われる日々も送る。さらに、連載先の『週刊SPA!』(扶桑社)が、オウム寄りの報道を続けることに怒り降板。連載の場を『SAPIO』(小学館)に移し『新ゴーマニズム宣言』をスタートさせる紆余曲折を経て、薬害エイズをめぐる運動の経過をリアルタイムで描き出すことになる。
「ゴー宣」内において小林は確信犯的に、悪役の厚生省を倒す格好いいヒーローとして原告・学生たちを描き続けた。だが、「第14章 運動の功罪-日常へ復帰せよ!」では、これまでのスタンスを一転させ“支える会代表として若者たちをあおって「運動」というものに参入させた「責任」を感じている”と述べる。地方の読者から届く、支える会が既存の左翼政党、政治団体に取り込まれつつある報告を憂慮し、運動をやめようとしない学生たちに、「就職しろ」「何なら厚生省に入れ、製薬企業に入れ、プロフェッショナルになれ!」と叫んだ。しかし、時すでに遅く、一部の学生たちは「個ではなく組織の人間」となっていた。
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2024.10.02 20:00心霊SEALDsの神格化を不安視する小林よしのり! 『脱正義論』から読み解く「正義の運動」とは?のページです。王城つぐ、小林よしのり、脱正義論、幻冬舎、SEALDsなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで