ゲス川谷以上にゲスな歌手はいた! ベッキー不倫騒動と状況が似ている最悪の「不倫殺人事件」とは?
■人気歌手が犯行に及んだ理由
昭和51年5月8日午前9時過ぎ、羽田空港の駐車場に停められたトヨタ「セリカ」のトランクから、赤色の液体がポタリポタリと落ちているのを係員が見つけた。通報を受けて駆けつけた警察官がトランクを開けると、毛布にくるまれた物体がある。開いてみると、30歳前後の下着姿の女性の死体であった。
ナンバーから、その日のうちに、所有者は割り出された。その車は5月5日から、克美茂に貸されていたことがわかる。
「免許証は持っていないはず……」
警察から連絡を受けた所属事務所の社長は、克美が殺害に関与しているとは信じようとしなかった。
克美は、北海道でキャンペーン中であった。6日、7日と札幌のマンモスキャバレー「エンペラー」で歌った。
車から死体が発見された8日は、旭川で公演の予定だった。札幌を午前10時発の特急「いしかり2号」に乗り、12時頃に旭川駅に着くと、克美は取り押さえられた。北海道警からの連絡で、旭川署の捜査官が張り込んでいたのだ。旭川署に連行された克美は、1時間ほどで自供し、殺人と死体遺棄の容疑で逮捕された。
■一途な浮気相手を殺す
克美には妻子があったが、殺されていたのは愛人、坂本恭子さん(仮名、35歳)であった。克美は恭子さんをソープランドで働かせて貢がせていた。
「毎月100万円は稼いでいるのに、1銭も手元に残らない」と、苦しい胸の内を恭子さんは日記に綴っている。
「奥さんからは1銭も取らないで、私をこんなに苦しめてどういう気でいるのだろう。もし本当に感謝しているのなら、奥さんのことを、なぜはっきりさせないのだろう」
妻とは別れるといい、克美は恭子さんの両親とも会った。昭和50年には内輪だけで結婚式まで挙げている。
しかし、克美はなかなか離婚せず、恭子さんの不信は募る。当初、北海道キャンペーンに一緒に行こうと、克美は恭子さんに言っていた。だが、実際にそんなことをしたら、不倫スキャンダルを背負ってキャンペーンをするようなものである。
5日の夜、恭子さんのマンションに泊まった克美は、北海道へはひとりで行く、と告げた。すると恭子さんは、奥さんのところに行ってカタをつける、と叫んだ。この言葉に殺意を抱いた克美は、恭子さんの首を締め上げて殺害したのだ。
トヨタ「セリカ」のトランクに死体を積み、あちこちで用を済ませ、羽田空港の駐車場に停めると、そのまま日航機に乗り札幌に向かっている。克美は過去に免許証を取っていたため、運転技術はあったのだ。
■センセーショナルな事件の結末
5月9日の朝日新聞は、「殺しのバラード『おもいやり』」の見出しで、事件を伝えた。
その年の8月23日、東京地裁で懲役10年の判決を受け、服役する。
昭和58年に大阪刑務所を仮出所すると、埼玉県でカラオケ教室を開いたり、クラブで歌った。そして、教室の生徒であった15歳下の人妻と恋仲になり、夫と別れさせて、結婚を遂げた。
だが、平成元年、克美は覚せい剤の所持で逮捕され、懲役8カ月の判決を受け服役する。出所を待っていてくれた妻は、克美の2度目の社会復帰を支えたが、やがて彼の元から去って行った。
平成7年、克美は31歳年下の女性と結婚。心臓病・脳梗塞・顔面麻痺などに見舞われたが、その後、テレビにも出演するようになった。
平成25年2月27日、克美茂は脳出血で死去。享年75歳であった。
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2024.10.02 20:00心霊ゲス川谷以上にゲスな歌手はいた! ベッキー不倫騒動と状況が似ている最悪の「不倫殺人事件」とは?のページです。拳銃、日本怪事件、克美しげるなどの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで