絶命した朝鮮人労働者たちの声なき声 ― 異様な冷気に満ちた「吉見百穴」のもうひとつの顔

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 前回、ヒカリゴケの自生とコロポックル説という、ふたつの「奇妙な北海道と縁」についてご紹介した吉見百穴(埼玉県)。しかしこの地には、もうひとつ別の顔が存在している。それは、今なお残る太平洋戦争時の忌まわしき爪痕、すなわち戦史遺構としての側面だ。

 実は前回ご紹介した集合墳墓跡と思しき横穴群とは別に、この一帯には、大規模な掘削痕が存在する。これらのトンネルは、かつてこの地に計画されようとしていた巨大な軍需工場の痕跡だ。

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■ただひたすら暗い闇が広がる軍需工場跡

 当時の史料を確認するとわかることだが、今を遡ること約80年前の太平洋戦争時、この地には、隼などの戦闘機を作り出した日本有数の航空機メーカー・中島飛行機が、岩山の最下部に直径3メートルほどのトンネル網の掘削に着手。軍需工場の建設を行おうとした記録が残されているという。

 現在、文化財として保存されている工場跡のトンネル内へと足を踏み入れると、その内部は、満足な建機もない状態で素彫りされた痕跡が、今なお、その内壁に刻まれていることが確認できる。その奥にはただひたすらに薄暗い闇の空間が広がっており、所々に設置された照明によって、ゆるやかに足元が照らされているという状態だ。

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■朝鮮人労働者による過酷な労働の爪痕

 手許の史料によると、この地下工場の建設が始まった当時、およそ3,500人もの朝鮮人労働者が投入され、それこそ不眠不休の掘削作業が進められたそうだ。そのうち何人が生きてこのトンネルの外へと出、本来あるべき日常へと戻ることができたのかは、今となっては知る由もない。しかし、その作業の痕跡を丹念に見ていくと、また、それを成し遂げた際の過酷な労働に思いを馳せると、『生還者の数は、さほど多くはなかったのではないか?』という推測がおのずと頭をもたげてくる。

 折りしも当時は旧日本軍の戦況が急速な悪化を遂げ、文字通り、一億総動員状態で国防にあたっていた時代だ。日本人ですらろくに食う物がない時代に、単なる労働源として重用されてきた外国人労働者たちが、どのような環境下で作業に従事していたかは、殊更説明すべくもないことだろう。

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 1944年7月、当時、軍部がその防衛に絶対的な自信を持っていたとされるサイパン島が陥落。すぐさまそこを日本本土への空爆拠点化にすることに成功した米軍は、最新鋭の爆撃機B29を積極的に投入し、空襲による日本本土の焦土化を実行した。その戦火は関東地方にも及び、首都・東京にある軍需工場を狙い打ちにした爆撃まで行われる始末であった。

 それは日本の航空戦術を支えてきた中島飛行機の工場群も例外ではなく、当時、東京・三鷹にあった工場は米軍の集中空爆により壊滅的な打撃を受けている。その事態を憂慮した同社幹部と旧軍上層部は、かろうじてほぼ無傷の状態であった大宮工場の機能を移転すべく、この吉見百穴に地下工場建設を目指すこととなった。その名も『第二軍需工廠855号』。吉見地区と隣接する東松山地域に跨る地域に位置することから、関係者の間では、『吉松工場』とも呼ばれていたという。なお、当時の計画によると、その建設にあたっては、先述した3,500人もの朝鮮人労働者のほかに、4000万円(当時)もの工費が投入され、全部で4工区、延べ1万坪にも及ぶ広大な工場が建設される予定であったとされる。

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■日本の歩みを無言で物語る

 手掘りの痕跡を眺めつつ、さらにトンネルの奥へと足を踏み入れていくと、時折、独特な冷気が頬を撫でる。壁面に掘られた段階別の窪みは、おそらくそこからの何らかの拡張性を想定して用意されたものであろうが、当時の残置物が現存しないため、その詳細については不明だ。また、この地下トンネルには、錆びた冷たい鉄の格子がはめられており、その奥へと進めぬようになっている箇所も存在している。

 果たしてその奥に何が存在しているのか、はたまた何も存在していないのかは、現代の我々が知る術もない。わかっているとすれば、この薄暗い空間に広がる世界を作り出した人々が、付近で自生するヒカリゴケの幻想的な光すら目にすることもなく、過酷な労働を強いられ、絶命したことくらいのものだ。

 前回も触れたように、作家・武田泰淳はその小説『ひかりごけ』の中で、やむにやまれぬ事情から、仲間の肉を裂き、喰らい、命を永らえた人々の姿を描いた。そこに登場した船乗りたちは、そのいずれもが、この第二軍需工廠855号の建設に投入された朝鮮人労働者と同様、軍によって徴用された人々であった。

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 戦後、80年以上もの時が流れ、平和な世に生きる現代の我々にとって、その辛苦に満ちた日々は想像することすら難しいものであるが、そこから続いて今の時代へと至った日本の歩みを、ヒカリゴケだけはいつでも変わることなく、無言で見つめ続けている。
(写真/文=Ian McEntire)

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