キリマンジャロを“這って登った”両手両足のない男カイル! 超過酷ミッションに挑んだ切なすぎる理由とは?
■登山のために最高の装備を入手する
日常的に身体をじゅうぶんに鍛えていたメイナード氏にとって、体力面での不安はなかった。しかし、それでもゴツゴツした溶岩石が敷き詰められたキリマンジャロのデコボコ斜面を這って登るためには、特殊な装備を考案する必要があった。
手足の先端を完全に保護し、なおかつ斜面を登りやすい“靴”を開発するため、メイナード氏はタオルや鍋つかみ用の手袋、溶接用腕カバーなどの既製品にあれこれ工夫を加えてみたものの、あまりしっくりとくるものはできなかったという。ついにはカヌーのコクピット部分だけを使って台車タイプの車椅子を作れないかとも考えたが、その試みもうまくはいかなかった。
結局のところ、義肢の専門家の助力を仰ぐことになったが、さすがはプロということで、取り外し可能なスパイクによって氷の斜面にも対応できるカーボンファイバー製の義肢を開発してくれた。しかも、このミッションに賛同して費用も負担してくれたのである。
「彼らは奇跡の職人だよ!」とメイナード氏は感激の言葉をあらわしている。こうして最高の装備を入手したメイナード氏は、自身を含め9人から成る登山チームを結成して、タンザニア北東部にそびえるキリマンジャロへと向かったのだ。
■登山チームにいた“10番目のメンバー”
キリマンジャロ登山において、低地ではモンスーン気候の湿った山道を登り、森林限界高度に達してからは月面のような荒涼たる岩石の中を進んでいくことになる。高度4200mに達したところで、メイナード氏のチームはルートの分岐点にさしかかったが、たとえ距離は伸びても安全第一のルートを選択して着実に山を登っていった。
登山計画では、1日に900m分の高度をクリアする必要がある。チームは毎朝3時に出発し、午後の4時まで休むことなく登り続けた。
そして、この登山チームに実はもう1名の“メンバー”がいた。アフガニスタン戦争で命を落とした元陸軍上等兵、コリー・ジョンソンさんの遺灰である。それは紐のついた小さなポーチに入れられ、メンバーの1人が首から下げていたのだ。
戦地での任務中に現地の子どもを見かけると、いつもポケット一杯に入っていたキャンディーをあげていたというジョンソンさんは、カンダハールで武装勢力に襲撃されて戦死を遂げる。28歳であった。当時、故郷では妊娠中の妻と2人の子どもが待つ身でもあった。
メイナード氏は以前、偶然にもジムでジョンソンさんの母親と知り合いになり、彼女から「死んだ息子は旅行好きで、かつて『キリマンジャロを見たい』と言っていた」と明かされたのだった。実はこの「ミッション・キリマンジャロ」は、今は亡きコリー・ジョンソンさんの夢を叶える旅でもあったというわけだ。
登山開始から9日目、ジョンソンさんの遺灰はメイナード氏に託されることになった。登山最終日、メイナード氏は紐を首にかけてポーチをジャケットの奥に仕舞い込んでから山頂に挑んだ。
「山頂を目指す中で、彼から大きなエネルギーをもらいました」とメイナード氏は語る。朝4時に出発して3時間後となる7時15分、ついにキリマンジャロの頂きに到達した。
吸い込まれそうな青い空、近くに感じられる太陽の輝き——山頂からの壮観に一行は立ちすくむ。振りまかれたジョンソンさんの遺灰は風に乗って消えていった。
前代未聞の偉業を成し遂げたメイナード氏は、「彼(ジョンソンさんの遺灰)はチームの10番目のメンバーでした」と振り返るとともに、改めて「何でもできるんだ!」と力強く訴える。特にPTSDで苦しむ帰還兵に声が届くことを望んでいるが、そのメッセージはより多くの人の心を動かしている。どんなに高い山であれ、登り続けていればいつか夢が叶うことをその身で示したメイナード氏の偉業に感銘を受けるとともに、アメリカ社会の深刻なPTSD問題に対する認識を新たにする話題でもあるだろう。
(文=仲田しんじ)
参考:「Sporting News」、ほか
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