飛行機事故で奇跡的に生還した人物5選が凄まじい! テロ、炎上、空中分解… 他の乗客・乗員は全員死亡!
米国の国家安全運輸委員会が行った調査によると、飛行機に搭乗し死亡事故に見舞われる確率は0.0009%だという。航空関係の専門家も統計的に見て、毎日飛行機に乗っても事故に遭遇する確率は438年に1回としている。しかし飛行機がいかに安全か判明したとしても、一度事故が起きてしまえば多くの命が失われてしまうのも紛れもない事実。そんな悲惨な飛行機事故に遭遇するも、奇跡的に生還した人物を5人紹介しよう。
■フォイ・ケネス・ロバーツ
1943年6月14日、10日間の休暇を終えた41人の米軍兵士と乗組員を乗せた飛行機が、オーストラリアへ向かって離陸した。飛行機が地上300フィート(約90m)の地点で水平飛行に移った直後、機体から突如火が噴き出してしまう。機体の翼1枚が飛び散って胴体に大きな穴を開け、乗客を空中に放り投げながら茂みの中に墜落。この事故による生存者は、乗客の1人として搭乗していた米軍兵士フォイ・ケネス・ロバーツだけだった。フォイは事故の衝撃により頭部に外傷を負い、言葉を話す能力を失っている。オーストラリア史上最悪ともいわれるこの飛行機事故の原因はいまだに不明のまま。また一説では、事故の事実が米軍とオーストラリア軍事当局により長年隠蔽されていたという噂も…。
■モハメド・オスマン
2003年7月8日、スーダン紅海州の州都ポートスーダンから首都ハルツームを目指し、1機の航空機が飛び立った。しかし離陸から10分後、「機体のエンジンに問題が発生したため空港へ戻っている」と機長から管制塔に連絡が入る。その連絡からさらに10分後、機体は緊急着陸を試みるも丘陵地帯へ墜落し、3歳のモハメド・オスマンを除く乗務員と乗客の合わせて116人が死亡。モハメドは事故の衝撃により下半身の一部を失い、全身に重度の火傷を負ってしまった。その後スーダンは、重要な機体部品を制限していた米国が事故を招いたと非難したが、米国は航空安全に関わる部品は禁止していないとスーダン側の主張を否定している。
■ヴェスナ・ヴロヴィッチ
1972年1月26日、JATユーゴスラビア航空の旅客機が飛行中に爆破されるテロ事件が発生。旅客機がチェコスロバキア(現在のチェコ共和国)の都市上空およそ33,000フィート(約10,000m)を飛行中に、クロアチア国家主義者によって機内に仕掛けられた爆弾が爆発。機体は爆発の衝撃により空中でバラバラに分解され、乗務員や乗客は機体もろとも凍った山腹に叩きつけられた。この事故で生還したのは、同機体に客室乗務員として搭乗していたヴェスナ・ヴロヴィッチただ1人。ヴェスナは頭蓋骨骨折のほかに、両足の骨折や脊椎も骨折していた。彼女はその後手術を受け無事回復し、JATのデスクとして現場復帰も果たしている。ちなみにヴェスナは、33,000フィートからパラシュートなしで生き残った人間としてギネス記録を保持している。
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2024.10.02 20:00心霊飛行機事故で奇跡的に生還した人物5選が凄まじい! テロ、炎上、空中分解… 他の乗客・乗員は全員死亡!のページです。炎上、米国、テロ、爆発、飛行機事故、ペルー、山下史郎、乗員、乗客などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで