事故で致死量の放射線を浴びても回復した“アトミックマン”の地獄の晩年! 米政府や人々の冷徹さが浮き彫りに!

 現在、太平洋上での北朝鮮水爆実験の可能性が世界を現在、脅かしている。また、放射能の恐怖を実感させられた「東海村JCO臨界事故」の被害者は、染色体破壊によりわずか数カ月で死亡している。被ばくの恐ろしさは、誰もが知るところであろう。しかし大量の放射線を浴びながら、生きながらえた奇跡の男も地球には存在する。彼は、「アトミックマン」と呼ばれた。


■放射性物質の回収作業中に機器が爆発

 1976年8月30日の夜、ハロルド・マクラスキーはワシントン州のハンフォード核処理施設で深夜勤務についていた。突如、化学爆発が起き彼は放射性物質とガラスや金属の破片を全身に浴びた。当時64歳だったマクラスキーに、記録にある中で最も高い線量の放射線(人間の年間許容量の500倍の放射線)が降り注いだ。

【被ばく】事故で致死量の放射線を浴びても回復したアトミックマンの地獄の晩年! 米政府や人々の冷徹さが浮き彫りに!の画像1ハロルド・マクラスキー氏 「Daily Mail」の記事より

 当時、マクラスキーはハンフォード核処理施設で煙探知機や爆弾で使用される高放射性物質のプルトニウム副生成物であるアメリシウムの回収を行う作業に携わっていた。

 事故の起きる4カ月前にストライキが起き、実験室や機器は数カ月間稼働していなかった。マクラスキーは以前設計者から、短期間でも管理されていなかった古い樹脂混合物は不安定になるので危険だと警告されていた。そこで作業再開は危険だと上司に話したが、上司はその訴えを無視した。

 その時マクラスキーは命令を拒否することもできたが、こう思ったと言う。

「私は高校しか出ていなく、この仕事しか知らない。そして間もなく退職できるというのに今、上司に逆らうことは賭けだ」

 そして彼が作業を再開したとき、化学反応が起きグローブボックス(内部に手だけが入れられるよう設計された密閉容器)が爆発した。

プレスリリース入稿はこちら サイゾーパブリシティ