持ち主を悩ます鬼を斬った? 天下五剣の1振り「鬼丸国綱」とは(前編)
■鬼丸国綱を作った刀匠一派「粟田口鍛冶」
鬼丸国綱を作刀した刀匠・藤六左近国綱、通称「粟田口国綱(あわたぐち・くにつな)」を排出した刀匠一派は「粟田口鍛冶」と呼ばれています。現在でも京都府には「粟田口」という地名が残されていますが、この名前は粟田口鍛冶に大きく関わるものです。
ご存じのように、現在でも京都の街は東西南北に伸びる道で碁盤の目のように仕切られています。この京都を東西に横切る「三条通」の東側の出入り口は、かつて「粟田口」と呼ばれていました。ここは日本刀の歴史上最初期の刀匠「三条宗近(さんじょう・むねちか)」が工房を置いた地で、日本刀の歴史を語る上でも非常に重要な場所です。
時代は鎌倉時代の初期、大和国(現在の奈良県)から「国家(くにいえ)」という刀匠が粟田口に移り住みました。この国家を祖に、その6人の息子をはじめとする数多くの刀匠が粟田口から排出されます。この刀匠集団は数々の名刀を作り出し、後に「粟田口鍛冶」と呼ばれるようになるのです。
鬼丸国綱を作刀したのは6人兄弟の末子「粟田口国綱」ですが、この兄弟たちは全員が現在まで伝わる名刀を数多く作刀しています。この6人兄弟をはじめ、粟田口鍛冶出身の刀匠は名前に「国」の字を入れている人物が多かったのですが、もちろん例外も存在します。名前に国を入れなかった刀匠としては「粟田口吉光(通称、藤四郎)」が特に知られており、粟田口鍛冶出身では最高の刀匠とされています。
粟田口藤四郎吉光は短刀の名人で、現在に伝わる3振りの短刀が国宝、7振りの短刀が重要文化財に指定されていますが、これは1人の刀匠としては最高の数字です。
■鬼丸国綱の露出が極端に少ない理由
現在の鬼丸国綱は日本の皇室の私有品「御物」であり、宮内庁が所蔵しています。また慣習として「御物は文化財保護法による指定の対象外」とされているため、鬼丸国綱は国宝及び重要文化財としての文化財指定は受けていません。
鬼丸国綱が御物となっている、というのは厳重な保管と手入れが為されている、ということで大変よろしいのですが、別の意味では非常に厄介な事とも言えます。なぜなら御物はその性格上、博物館などで一般公開されることがめったになく、よって現物を見る、写真を撮るなどの機会が非常に少ないのです。
それでも写真がまったく無い、という訳ではないのですが、それらは数少ない機会に撮影された、非常に貴重なものなのです。
今後「鬼丸国綱が一般公開される」となった場合、一も二もなく駆け付けるべき……鬼丸国綱はそれほどに現物を見るチャンスがない、非常にレアな刀と言えるでしょう。
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2024.10.02 20:00心霊持ち主を悩ます鬼を斬った? 天下五剣の1振り「鬼丸国綱」とは(前編)のページです。日本刀、たけしな竜美、鬼丸国綱などの最新ニュースは好奇心を刺激するオカルトニュースメディア、TOCANAで