■作家人生を決定付けた即身仏との出会い
ところが1963年、25歳の時に、内藤さんはその作風を捨ててしまう。撮影に訪れた湯殿山注連寺で鉄門海上人の即身仏に出会ったことがきっかけだった。
『鉄門海上人 注連寺』「即身仏」より 1964年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
「当時僕はSF写真をやっていまして、出羽の即身仏が「五十六億七千万年後の荒廃した地球に、弥勒菩薩が衆生救済に来る。その弥勒下生の時を待つために断食死する……」という話がすごくSF的に思えて東北に入ったんです。東北で、即身仏に接したのはショックでした。その時は、拝むというのでも見るというのでもないんです。即身仏の前に座って、毎日対決していました。」(『現代詩手帖』1987年4月号)
即身仏との出会いを境に、それまでの自身の作風を潔く捨て、修験道に興味を持ち、羽黒山伏の秋の峰修業に参加して山伏の資格を取得するまでのめり込んだのだから、内藤さんにとってはよほどの衝撃だったのだろう。
■東北で、婆バクハツ!
以来、内藤さんは、東北地方の民間信仰に強い興味を持ち、追いかけるようになる。その代表的な作品が、『婆バクハツ!』である。
『お籠もりする老婆 高山稲荷』「婆バクハツ!」より 1969年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
祭礼に集まりトランス状態になったイタコの老婆たちを、強烈なフラッシュで漆黒の闇の中に浮かび上がらせた「婆バクハツ!」は、内藤さんの代表作の1つだ。