■東京の闇には異界との境界がある
1970年代に入り、東北で生と死との境界、異界を追いかけるのと並行して、内藤さんは東京を撮り始める。
当時はまだ浅草に残っていた常設の見世物小屋・稲村劇場で繰り広げられるパフォーマンスに魅せられた内藤さんは、毎日のように小屋に入り浸り。芸人たちの姿を撮影。劇場入口での街頭写真展まで行った。
1985年まで東京を撮ったその写真をまとめたのが『東京 都市の闇を幻視する』のシリーズだ。
『酒を飲む浮浪者 新宿』「東京 都市の闇を幻視する」より 1970年 ゼラチン・シルバー・プリント
夜の歓楽街をさまよう浮浪者、蛇を食いちぎる見世物小屋の女、街を往くアベックや路上でストリップに興じるオカマたち。
日本全国から集まる人間の欲望を貪欲に吸収し、その排泄物とも言える膨大な量のゴミを吐き出しては拡大していく高度経済成長期の東京を「巨大な生命体」と捉え、そこでしか生きていけない雑多な人々を、内藤さんは強烈なフラッシュ光で、暗闇の中に浮かび上がらせる。
『キャバレーの看板 銀座」「東京 都市の闇を幻視する」より 1971年 ゼラチン・シルバー・プリント 東京都写真美術館蔵
「本当の都市としての東京が見えてくるのは深夜の盛り場。一時、二時を過ぎると昼間とは全然違う姿を現します。(中略)僕はここに人間の根源の姿を見たんです」(東北文化友の会会報『まんだら』第23号、東北芸術工科大学東北文化研究センター、2005年)
「東京が底知れぬエネルギーを持っているのも、現代の漂泊者が住むことのできる闇を内部に持っているからだろう」(『内藤正敏写真集 東京 都市の闇を幻視する』 名著出版、1985年)
「東京をカメラを持って歩いていると、ところどころにタイムトンネルのような穴があいていて、“江戸”に通じているように思えることがある」(『内藤正敏写真集 東京 都市の闇を幻視する』 名著出版、1985年)
きらびやかな都市の歓楽街の隅でブラックホールのように口を開ける暗闇の向こうに、内藤さんは異界を察知していたのだろう。それは、東北の田舎でも東京でも同じだったようだ。