【実話怪談】かぐわしい香りと共に現れた謎の美女 ― 川奈まり子の情ノ奇譚『秋の香り』

kawana11-2.jpgイメージ画像は「Getty Images」より引用

 振り返ると、斜め後ろに小柄な女性がいた。

 頭の上に小さな白い正方形の布を載せて、葡萄みたいな暗い紫色の袴を穿いている。腰から上は黄色い振袖を着て、艶のある黒髪を結わずに肩に垂らしていた。

 そんないでたちで何をしているかというと、両手をだらんと体の左右に下げて、貧乏ゆすりしている――全身を小刻みに震わせているのだが、寒くて震えている感じではなく、規則正しい上下動の具合が、まるで貧乏ゆすりのようなのだ。

 異様であることは間違いなかったが、色白で小柄で、鼻筋が通った美人で、なんと言っても香りが素晴らしかった。

 ――こんなに人をうっとりさせる匂いは初めてだ!

 鈴木さんは、全身の力が液体になって足から流れ出てしまうような心地がした。脱力して寝転がってしまいたいような気分で、思わず、

「いいにおーい!」

 と、口走った。

 その途端に女は貧乏ゆすりをピタリと止めたかと思うと、煙のように掻き消えた。

 しばらく辺りの空中に彼女の香りが残っていた。

 鈴木さんは鼻孔をひくつかせながら、炊飯の支度をあえてゆっくりと整えた。惜しみながら炊事場を立ち去るときに、入れ違いに女子大生が2人やってきて、「あれ? 洗剤の匂いがする? それともシャンプー?」と話しているのが聞こえ、自分だけの幻覚ではなかったのだとわかって嬉しくなった。

 それから弟の部屋に廊下を歩いていったのだが、途中、ふと、両手で捧げ持った炊飯器の釜の中で黄色い何かが動いたのを感知して、見れば米が浸かっている水に一枚の銀杏の葉が浮かんでいた。

 部屋に帰って事の顛末を弟に話すと、「銀杏の女じゃない?」と言われた。

 子どもじみた想像だとお互いわかっていたが、銀杏の妖精に違いないと兄弟そろって興奮気味にうなずきあった。

 妖精と言うなら、たしかに女の振袖も黄色かった。水から摘まみだした銀杏の葉を嗅いでみたけれど、微かにギンナンの匂いがしただけだった。

 あのとき炊事場の窓が閉まっていたことを思い出し、また、銀杏が黄葉するには時期が早すぎると考えて、自分は何か超自然的な体験をしたのだと自覚した。しかし、鈴木さんは一向に怖いような気がしなかったという。

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■川奈まり子
東京都生まれ。作家。女子美術短期大学卒業後、出版社勤務、フリーライターなどを経て31歳~35歳までAV出演。2011年長編官能小説『義母の艶香』(双葉社)で小説家デビュー、2014年ホラー短編&実話怪談集『赤い地獄』(廣済堂)で怪談作家デビュー。以降、精力的に執筆活動を続け、小説、実話怪談の著書多数。近著に『迷家奇譚』(晶文社)、『実話怪談 出没地帯』(河出書房新社)、『実話奇譚 呪情』(竹書房文庫)。日本推理作家協会会員。

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